読書感想文40 高橋源一郎 超「小説」教室 | 恥辱とカタルシス

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作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

うーん、勉強になりました。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

小説指南書を読んでみましたよー。記念すべき40冊目の読書感想文です。

 

2月最後の日に40冊目の読書感想文。ということは、単純計算すると1年で240冊読むことになりますかね。良いことだ。とても良いことだ。

 

で、40冊目はほんとは桜庭一樹さんの短編集にしようと思ってたんですね。実際に途中まで読んでたんです。その名も「桜庭一樹短編集」。最後の中編を残して大体読んでたんですが、なんか今日夕方子供の友達が家に来てね。

 

子供の個室でいい子で遊んでるんですが、なんか気になるじゃん。おやつ出しに行ったり。ケンカしてないかドアの前で立ち聞きしたり。だから小説も書けないし桜庭さんの本も読めなかった。

 

書いてる小説が今佳境に至っているんだー。原稿用紙で170枚で佳境が来てしまった。多分250枚ぐらいで終わるであろう。思ったより短かったなあ。でも簡潔に言いたいことが書けているので今回はかなり満足のいく出来です。まあこれからどんでん返しを書くので、そこが上手くいくのかが重要なんですが。

 

なんかあんまり読者におもねらない仕上がりになりそうです。そりゃもう桜庭一樹さんの影響。私が書きたい世界を書く。「わかってくださいよ。私はこう言いたいんですよ。面白いでしょ?ね、面白いでしょ?」みたいなのをやめました。それでうまくいってるのかはわからないんですが。

 

私周りに書いた小説読んでもらえるような人がいないんですよね。作家になりたいことを公言してるのは夫だけ。しかも読ませたことは一度もありません。夫は本を読む人なんですが読ませられん。だってエロいし。こんなん嫁が書いとると思ったらきっと辛かろう。

 

今回も元気いっぱいエロくてグロいのです。だから子供の友達がいるようなときには書けない。そこで読んでみた高橋源一郎さんの「超「小説」講座」。ちょっと小説指南書とは言い難い本でしたが、得るものはたくさんありました。面白かったです。

 

これから新人賞に送っていく上での、テクニックというより「情熱」を教えてくれた本でした。だから、テクニックを知りたい人にはあんまり向かないのかなあ。

 

 

 

高橋源一郎さんと言えば、私の中では「コバルトの選考委員してた人」のイメージです。私がコバルトに出してた頃に選考委員なさってたんですよね。今野緒雪さんなんかがデビューされたあたりです。実は、私は高橋源一郎さんの著作を読んだことが一度もありません。

 

ですが、図書館で小説指南書の棚を見ているうちに、高橋源一郎さんの本をたくさん見かけまして。「ああ、あのコバルトの人か。読んでみよっかな」と思って借りてみて大正解。

 

この方、「新人賞の何たるか」を教えてくださる方なんですね。「選考委員はここを見ています」を教えてくださっています。以前書いた、齋藤とみたかさんは「一次選考を突破する方法」を教えてくださっていましたが。

 

高橋さんが指南してくださるのは「最終選考を突破するのはどういう作品か」。要はレベルが高い。「当然できて当たり前の『イロハ』は越えてから挑んできてくださいね」という厳しさもあります。その上でおっしゃっているのが、「選考委員はみんな新人作家を温かく迎えたいと思っている。作家というギルドに新たに仲間入りする新人を、切り捨てるのではなく良いところを拾って迎えようとしている」という姿勢。

 

「新人の芽は早いうちに摘んでやろう」なんて考える選考委員は一人もいないんだってさ。これは下読みをなさっている齋藤とみたかさんもおっしゃっていました。選考委員はその作品を繰り返し繰り返し読む。いいところを見つけ出して何とかギルドの仲間入りをさせてやろうとする。うーん、先駆者の責任ですね。

 

「選考委員は小説の出来の先、その作家の可能性を読んでいる」という言葉も興味深かった。結局新人には完ぺきな作品なんて書けやしない。だからこそ、その作品で「書きたかったけれど書けなかったもの」「その作家が書こうとしたもののスケール、可能性」を読むんだそうです。要は、技巧に走って小さくまとまった作品は目を引かないってことだよね。不完全でもいいからその作家がどれだけのものに挑めるか。自分の中にある世界観をどれだけ発揮できるか。

 

なんか心強いなって思いました。私自身、情熱しかないような人間なので。書きたいことにはあふれているんですが技巧なんてこれっぽっちもない人間なので。でも、「イロハ」は越えないとただの独りよがりになることも事実なんですよね。これは私、ネット小説の世界をつぶさに見て実感するところでもありました。

 

自分の中で完結してしまっているアマチュア作家さんって、結構多かった。もちろん趣味の延長で書かれている方はそれで完成形なんだと思います。私も決して独りよがりを脱しているなんて言えませんが。でも人の作品を見るとよくわかる。「この人、自分の世界から出てくる気ないんだろうなあ」って。

 

そのあたりを高橋さんは「ただ小説を書くだけでなく、自分の小説を読む目、そして批評する目を持つこと」とおっしゃっていました。確かになあ。推敲するところまでなら「読む目」があれば何とかできるけど、その先、「批評する目」を持つってかなり難しい。他と比べないと批評なんてできない。それをするには、やはりほかの作家さんの作品を読むこと。「比べる目」を持つことが大切なんでしょうね。

 

批評した上で自分の作品の立ち位置を探っていく。目指す立ち位置に到達する作品を書く。そこまでして初めて最終選考から名のある賞を受賞することができる。……うーん、山の峰は高いなあ。でも、目指す峰はもっと遠い。この本の後半は、高橋源一郎さんが2000年以降に選考委員をした文学賞の選評が載せられているんですが。

 

群像新人文学賞とか、すばる文学賞、文藝賞に我がホームグラウンド松山市主催の坊っちゃん文学賞など、高橋さんが選考委員を務められた新人賞の詳細が記されている。そこには多数の「新人作家」の受賞作品の選評が載っている。どれも面白そう。なのに、作者のプロフィールを見てみるとですね。

 

受賞作イコール代表作の方が大半なんですね。その先、作品を多数発表して、三島由紀夫賞とか吉川英治文学賞とかに発展する人なんてひと握り。芥川賞までいく人なんて多分一人しかいなかった。二人だったかな?なんせ少数。これが、「5年後に生き残ってる作家は5%説」なんでしょうか。

 

私は新人賞を受賞して作家になりたいのですが、一冊だけ、一作だけなんて嫌なんですよね。たくさんお話が書きたい。きっと新人賞に応募する人はみんなそう思ってる。でもこの現状。なるほど、なかなかに苦しそうです。でもまあ、宝くじも「当たるか当たらないかの二択」でしかないんですよね。

 

「米俵の中の一粒の可能性」と思っている人にはきっと一生当たらない。「当たるか当たらないかの二択」と考えていれば確率は二分の一だ。新人賞だって一緒。「受かるか受からないかの二択」。二分の一なら、きっとそのうち当たるはずでしょう?

 

前向きに生きていくって大事。あきらめるのは簡単。まあ駄目だと思ったら簡単にあきらめますけど。出来ることをやったほうが効率がいい。でも小説って、私にとって「出来るか出来ないかわかんないけどやりたいこと」なんだよなあ。

 

 

 

そんなもんで、まあ今後とも頑張っていこうと思いました。高橋源一郎さん。著作もぜひ読んでみようと思います。この方も、大沢在昌さんと同じく3回目の応募で新人賞受賞されたんだそうです。

 

やっぱ短期決戦で情熱を塗り込んでやるべきですね。ぬりぬり。もう私3回目なんか軽く越えてるけどね。まあ頑張る。まあまあ頑張る。

 

というわけで論理的に情熱の燃やし方を指南してくださった高橋源一郎さん。

 

面白かったです!ではまたー。