読書エフィカシーの構築(バーチャル講座)のご感想を頂きました。ご感想も記事もかなり長めですw
本(古典)というモノは誰でも眺めることはできるのですが、内容を理解する、著者と対話する、ゲシュタルトを獲得するとなると読書法(情報空間のロジック)を身につける必要があります。
脳の構造として知識のないものは見えませんから、ゲシュタルト(全体像)を抑えていないと知識も入ってきません。
そういう読書法を1人でぼーっとしていた「なかだ」は貴重な生命時間をかなり失いました。
「無駄な努力は無駄でしかない」「そのやり方は多分無駄だよ、と教えてあげた方がのちのちの本人のためになる」ということをイヤという程知った苦い思いでです。
間違った電話番号ではゴールに繋がらないのです。
中田さんの「読書法が確立してなかったために本が読めず19歳から数年間ダラダラ何も学んでいない、自我が変らない読書をして大きな回り道をしていた」に共鳴して、ぜひ勉強させていただきたく存じます。
「なかだ」自身1日10冊読まなければ、地位も、名誉も奪われる世界には住んでおらず、まだまだ読書法を語る時期としては早いと思いましたが、必要そうな方が多かったので講座としておきました。
もちろん、本を読み、血肉化できるという方は読書法を確立している人達です。巷の書店の読書法の書籍10冊くらいをざーっと読めば如何に読書法が盲点になっているか?が分かるのではないか?と思います。
で、本気度が伝わってくるかなりの濃さと長さです!
一人ではサボりがちかもしれませんが、今この瞬間にも仲間が突っ走っているんだという姿を観るとお尻に火が付くものです(^^)
また、名言の宝庫に思いますから、さーっと取り出してみますね。
・自我を書きかえるため。ゲシュタルトを作る。自我が変わらないような、暇つぶし的な読み方でなく、人格を作るような読書を!
・(既存のフレームを走らせないために)スピードをあげて、○○さんは量が足りなくなりがちだから、くせにしたほうがいいですよ。
・そのワーク中に、受講者の方が、何かをつかまれたようで、これ(本)を書いている人の意識レベル、モチベーション、本にかけているもの。自分も同じ所にいかないと、もらえない。
・真剣勝負しないともらえないよな、ああわたし弱かったと、もらされたのが、とても印象的でした。
・講義の時の様子とは、まるで別人のようでした。
・ワークの時間、音声データとしては沈黙が長く続いていたところに大事なことが凝縮されていたように思いました
・3回聞いてようやく、読書に対するゴールがあやふやなままだったから、本を読んでも(本を読むという行為をしても)手応えというか埒が明かなかったんだなとわかりました。
・そもそも、ゴールを明確にする、という意味がわかっていなかった。著者と対話する!と決めたら本の選び方も変わるし、本との接し方も変わりそうです。
・あれもこれもと目移りして、手を広げるばかりで結局、何も得られない、という事態は、解決しますね。
・最近になってようやく、ある本に限定して(おそるおそる)線を引いてみたこともありますが、確かに内容が理解しやすいものの、定着していません。この習慣は思いきって捨てたほうがよいものですね。
「読書エフィカシー」ありがとうございました。
3回聞いた段階で、ひとまず感想を送らせていただきたいと思います。
1回めは寝ながら、ざーっと通して
2回めはメモを取りつつ、見えないけれど、一緒に受講しているつもりで
3回め、何度かにわけて、ざーっと。
●講義編
なぜ読むのか(ゴール)
◎著者との対話
◎良質な情報を得る
→
知識としては知っていたもののあくまで知識レベルでの理解にとどまっていました。
◎人格を増やすため。
自我を書きかえるため。ゲシュタルトを作る。
自我が変わらないような、暇つぶし的な読み方でなく、人格を作るような読書を!
→著者になったつもりで読むといっても、どうやったらそういう読み方になるんだろう、これまでそれがよくわからないままでした。
●ワーク編
時折、中田さんが声をかけはげましながら、ワークされていましたね。
・とにかく100回やる。
・ファミリアにする。
・(既存のフレームを走らせないために)スピードをあげて、
・○○さんは量が足りなくなりがちだから、くせにしたほうがいいですよ。
・身体に覚えさせる。
・一字一句読むための前段階。自我がOKとなる感覚をつかむ。
等々
そのワーク中に、受講者の方が、何かをつかまれたようで、
これ(本)を書いている人の意識レベル、モチベーション、
本にかけているもの。
自分も同じ所にいかないと、もらえない。
真剣勝負しないともらえないよな、ああわたし弱かった
と、もらされたのが、とても印象的でした。
講義の時の様子とは、まるで別人のようでした。
苫米地先生の『速読脳』に一字一句読むと書いてあったので、パラパラめくったり、流し読みするのは、著者と対話したり、内容を理解するための読書とは、ゴールが違うから、と単純に切り捨ててしまっていました。
講座では、その一字一句読むための前段階として、具体的にはどんなことをされていたのでしょうか。
本をひっくり返して見たりもされていたようですが、何を100回、とおっしゃっていたのでしょう。
紙の音(たぶん)が聞こえてくるのですが、ここだけは、一緒にワークすることは、まだできていません。
★ワークの時間、音声データとしては沈黙が長く続いていたところに
大事なことが凝縮されていたように思いました★
3回聞いてようやく、読書に対するゴールがあやふやなままだったから、本を読んでも(本を読むという行為をしても)手応えというか埒が明かなかったんだなとわかりました。
そもそも、ゴールを明確にする、という意味がわかっていなかった。
著者と対話する!と決めたら本の選び方も変わるし、本との接し方も変わりそうです。
あれもこれもと目移りして、手を広げるばかりで結局、何も得られない、という事態は、解決しますね。
それから、私は「本をきれいなままにしておきたい」という思い強すぎて、カバーをかけて、中身も汚さないようにふれて、線を引いたり、ページを折ったりするのはおろか、ごくまれに付箋をつけるのがせいぜいでした。
最近になってようやく、ある本に限定して(おそるおそる)線を引いてみたこともありますが、確かに内容が理解しやすいものの、定着していません。
この習慣は思いきって捨てたほうがよいものですね。
中田先生の読まれた本を、一度拝見してみたいなと思いました。
『読書』というものの概念が、実感を持って変わってきました。
もうひと押し、もうふた押し、後戻りしないようどんどん挑戦します。
どんなワークをされていたのか、何を100回?
ぜひ、教えていただければ幸いです。
ではまた、よろしくお願いします。
100回というのは本を汚す、ファミリアにするワークですね。僕は太刀打ちできない書籍は鞄の中に常に入れておくとかは良くしています。
講座では本をぐしゃぐしゃにする、逆さから読むとかを遊び半分で100回でした^^
それから、私は「本をきれいなままにしておきたい」という思い強すぎて、カバーをかけて、中身も汚さないようにふれて、線を引いたり、ページを折ったりするのはおろか、ごくまれに付箋をつけるのがせいぜいでした。
最近になってようやく、ある本に限定して(おそるおそる)線を引いてみたこともありますが、確かに内容が理解しやすいものの、定着していません。
この習慣は思いきって捨てたほうがよいものですね。
中田先生の読まれた本を、一度拝見してみたいなと思いました。
素晴らしいですね^^

・2007年7月25日初版の書籍。発売日当日にゲットするのが今も日課ですが、当時田舎に住んでおり、車で探しまわった1冊ですw今はAmazonが本当に便利です。約7年前のものですね。
小さな折り目が練習でつけていたものでまだ恐る恐る本を折っていた時期のものです。大きく折っているところは段々慣れてきて大きく折るようになってきたものです(^^)しみだらけですねw
そのときの自我によって観ていた視点も記録できて面白いです。
特に、約7年前に読んでいた書籍のしるしを見ると「当時そこが重要なのっ!?」とツッコミを入れてしまいますね。
また、僕の場合は書籍からの引用も多いので書籍で使えそうな文章は上ではなく下に折り目を付けています(^^)
僕の苫米地本の本棚はオーラが違うとよく言われますが、馴染んだ気が出ますね^^また、この写メをパラダイムシフトするまで見ておく、壁に張っておくといいです。
シフトしたらウィトゲンシュタインの梯子のように写メは捨ててしまいましょう。
7年後が楽しみです!!
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