全6回の対面セッションお疲れさまでした!
12月1日は『富山の釈迦』の誕生日ということで(^^)
最近はセッションの修了生に二つ名を付けています。オ●ム的な戒名ではなく、お笑い芸人の有吉弘幸さんの毒舌あだ名のイメージです。アバターとして使って頂ければと思います。今日は『富山の釈迦』でした。
富山の釈迦にはいくつか意味が込められています。1つは仏教の三車のたとえ。
(引用開始)法華経
法華経という仏教経典に3車のたとえがある。
屋敷の中で子どもが大勢遊んでいた。出入り口は一つしかない。その屋 敷が火事になった。それに気づかずに遊び続ける子どもに、「火事だ。死 んでしまうぞ。出てきなさい。」と父は叫ぶ。だが、子どもは出てこない 。そこで父は、子どもが知っていて欲しがりそうな玩具があると誘った。 「牛の車、山羊の車、鹿の車があるよ。外に出ておいで。」というと、子 どもは燃える家から出てきて、助かった。父は、3つの車ではなくて、 もっとすばらしい大きな白牛車を与えた。
(引用終了)
書き換えには倫理観が求められますが、屋敷が火事で燃え広がっていることに1番はじめに気づいたあなたは、子ども達に『火事だ。死んでしまうぞ。出てきなさい』と叫んだところで、もちろん子ども達は出てきません。親なら誰でも理解しているでしょう。
そんな時、我々、父、リーダー、教師、気功師、コーチはどうしたらいいのか?
牛の車、山羊の車、鹿の車があるよ。外に出ておいで。と言える機転の利き方、懐の深さ、胸のゆるみがあると良いです。強制的に色眼鏡を掛けさせて、最終的にどこにいたいか?を本人に選んでもらうそういう手法もありでしょう。現状にいては屋敷が燃えていることすら観えません。

※我々の潜在的な問題の1つは、IQがないと問題があることすら観えないことが問題なのです。スクール3期でいえば、システムの欠落を観るにはそのシステムを越えた視点が必要というわけです。
もう1つは、キリストの無償の愛、仏の慈悲レベルの抽象度を維持して欲しいという思いです。
ちなみに、「なかだ」はここ数年神学、聖書学などガリガリお勉強していますが、無償の愛よりは、慈悲の方が感覚的に分かりやすいので、『慈悲』を良く使います。愛というと恋愛の愛の計算が走る人も多いです。(そんなこと知っているという律法学者さんも多いですね。では、何と書いてあるかと問いたくなります。そして、その通りにせよ、と。)
縁起は縁起でも、新興宗教の縁起やスピチュアルの縁起の計算が走るようなものです。我々としてはなじみやすいのですが、現代科学を通していない古い概念は一旦捨てた方がいいのかもしれません。(間違った理解が多く、間違った出力をして、余り宜しくない結果を出すので。)
計算がシャーって走る風景です(^^)
計算がシャーは好きな表現の1つです。気の視覚化ができる人は先生に見せてもらうとよいですね。
元アメリカ大統領ジョージブッシュのように自分の子どもは可愛いけれど、地球の裏側の子どもは関係ない・・・それこそ、目の前のコメダコーヒーのたっぷりアイスコーヒーブラック1つ取って観ても存在論から観た縁起が分かっていないのではないでしょうか。(キリスト教原理主義の論理でいえば、地球の裏側の子どもは人間じゃないので。)
たまには、空(宇宙の星々)を見上げて、恒星から地球まで距離を計算してみて欲しいものです。(計算が正確かどうかは別として。)
大周天のように抽象度の階段の降り方、実践という意味も込めています。
最後に、嬉しい、楽しい、気持ちがいい、誇らしい、清々しいを徐々に10倍にするワークをしましたが、自分の中で感情にフタをしている部分を緩めることです。上手く笑えない、それこそ、行動と身体がバラバラになってしまっている証拠でしょう。
目の前に起きた出来事をプラスと取るか、マイナスと取るか、それは我々1人1人の自我(評価関数、重要性関数、内部表現)次第です。事実は変えられませんが、受け取り方は変えることができます。
どうせ選ぶのならば、プラスを選択して、まずは自分が笑って周囲にその輪を広げていってください。マイナスからゼロを越えて、プラスへ。これは「なかだ」の場の合い言葉です。
それが1番最初に気づいた『富山の釈迦』の役割だと思うのです(^^)
また、気づいた時は周囲に「役割(機能)」を与えてください。
そのために「気功」を上手く使ってくださいね!

※特別音声ファイル1弾~7弾、バーチャル講座を12倍速で聞いて頂いているそうで、嬉しいです(^^)
富山は任せた。