ゴール設定やエフィカシーやコンフォートゾーンという言葉を知っていてもその理論を実行できたり、実践している人は全体の2割にも満たないのではないでしょうか?
何故ならば、間違った理解を8割の人がしているからです。本当の意味で理解していないわけです。言葉の定義が間違っていれば、上手く現実でワークするわけがありません。
パソコンのプログラムと一緒です。間違っていたら動きません。気功技術も同じです。プログラミングが間違っていたら動きません。
プログラミングは残酷な現実を突きつけてきます。
1文字でも間違ったらアプリケーションは上手く動きません。
で、本当に理解していないから、現実は変らないし、動かないわけです。
プログラムができて初めて何かが理解できる。
さもなければ、理解したと考えているだけで、本当に理解したとは言えないのだ。
by数学者グレゴリーチャイティン
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言葉の定義を誤って議論をしてしまうと一生結論に辿り着かなかったり、ただの経験論や無駄な議論で終わってしまうことがあります。何故ならば、前提が間違っているから。
2チャンネルやニュースやTVでよくある光景です。
それらはデータもソースもなく、統合論的にも、意味論的にも途中計算も間違っており、ほぼ無駄でしかありません。多分。
まずは、言葉の定義から議論(計算)をはじめましょう。
(引用開始)メタマス!オメガをめぐる数学の冒険 P8 著グレゴリー・チャイティン
私にとっては、プログラムができて初めて何かが理解できる(他人じゃなくて、自分でだ)さもなければ、理解したと考えているだけであって、本当に理解しているわけではないのだ。
(引用終了)
プログラムができて初めて何かが理解できる
というのは、エレガントだなぁと感じます。ブログで言えば、1記事というプログラムを整合的に書けてはじめて習ったことが理解したと言えるわけです。
ブログ記事というプログラムが書けなければ、理解したと考えているだけであって、チャイティン先生のいうように本当に理解しているわけではないのかもしれません。
まずは言葉の定義から議論をはじめましょう。
例えば、「一念三千」でしたら、この一瞬一瞬に過去、現在、未来のすべてが詰まっている。
「気功」でしたら、共感覚による内部表現書き換え。
認知科学の「グランディング問題」でしたら、心(脳)と身体の境界はどこにあるのか?という問題。
など。
まずは言葉の定義から議論をはじめるとよいのかもしれません。
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