高杉晋作の獄中手記 #027 | 周南市 東郭の世界

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獄中手記
 
 
元治元年五月六日 讀書六十葉
 
 
因中作
 
 
爲國破家々亦輕      国の為家を破るも家亦軽し
不辭世上喚狂生   世上の狂生と喚(よ)ぶを辞せず
友人猶有不忘義   友人なお義を忘れざる有り
昨日門頭問我名      昨日門頭に我名を問う
 
 
一日有人予安否於獄吏去、不知為何人、因賦小詩謝其誠意云
 
 
【語句解説】
 
破家々→破産としているのもある
 
狂生=晋作は狂生と名乗った。松陰先生の教えの「狂愚」からとったもの。
 
問う→呼ぶとしているのもある。
 
【東郭解譯】
 
5月5日に長州藩政務役周布政之助が酔った勢いで晋作を野山獄へ
 
乗り込みましたが、その翌日の6日の日付けに「謝詩と寄せ書き」
 
がありました。藩の重役が獄中の自分のところに来たことは、志士
 
擁護を貫いた晋作さんには、”義を忘れざるなり”と映ったのです。
 
一方、周布政之助の方は藩内で、保守派からも正義派からも糾弾
 
され指導力が低下していました。友人の知識人「土屋蕭海」宅で
 
酒を呑んで酩酊し馬に乗って野山獄へ行って獄吏に門を開けさせ
 
ました。周布さんは、酔っぱらっていましたが、それだからこそ
 
晋作さんに逢いたくなったのかしれません。出会って何を言った
 
かは酔っ払いでは覚えていないでしょうし、晋作さんは、”有る人
 
予の安否を獄吏に聞いて去る、何人為るか知らず” と書いています。
 
「昨日門頭我名」では、”お~い晋作!” くらいの語気のようで
 
「昨日門頭我名」の方では、”問うてただす”の意味もありますの
 
で、少しは‟喝”と入れたのかもしれません。周布さんの真意は、
 
”あとはお前に任せる!”と云いたかったのだと思います。
 
この事で周布さんは6月4日に謹慎を命じられ、9月25日には
 
自刃します。晋作さんは6月21日は、出獄して自宅謹慎となり
 
ます。これからこの二人があった記録が見当たりませんので、
 
この時の”出逢い”が最後となったわけです。それが獄の内と外とは
 
悲しいですねぇ~
 
                《2015.9.6 周南市 東郭》