資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 三重県四日市市垂坂町にある、垂坂山 観音寺(たるさかさん かんのんじ)です。



 「垂坂山のお大師さん」・「元三(がんざん)さん」の愛称で地域の信仰を集めているお寺です。

 928年に朝明郡の領主・舟木良見(ふなきよしみ)により寄進を受けた良源(りょうげん)が堂を建てたのがはじまりとされ、最盛期にはこの地方の天台宗の拠点として栄え、最盛期には24もの坊(僧侶の住居)を数えるほどでした。

 本尊には開運厄除けのご利益があるとされ、おみくじの創始者とも言われる慈恵大師良源(元三大師)を祀られており、1100年以上の歴史を誇っています。

 寺には南北朝時代の作品である木造慈恵(じえ)大師(元三大師)座像や、平安時代後期の木造薬師如来像、鎌倉時代の木造地蔵菩薩坐像など貴重な文化財があります。





 絵馬は、地蔵菩薩像のイラストを描いた祈願成就絵馬と鉛筆型の学業合格祈願絵馬の2題です。

(観音菩薩像)
 観音寺が所有する、三重県指定有形文化財の地蔵菩薩像(像高80.7㎝)の解説書には、

 「鎌倉時代 正応三年(1290年)の作。右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を載せて座る姿勢をとっています。
 髪を剃って僧侶の姿に表しています。いわゆる結跏趺坐(けっかふざ)と異なり、右足が前に出て少しくだけた楽な姿勢になっています。

 これは、座りながら親しく人々に教えを説こうとしている様子と受け取れます。

 地蔵菩薩は六道、特に地獄に落ちた人々を救済してくれることで篤く信仰されました。

 この像は、漆地に白土を塗り、その上に彩色を施しています。また像の底部に墨書銘があり、正応三年(1290)年に慶円という仏師によって造られたことがわかります。
 慶円は、東大寺多聞天像の修理を行ったとされる慶円と同一人物といわれております。」と書かれています。

 春休みを間近に控えた3月中旬、地元の小学校から可愛いお客さんが来館されました。 


 その学校は、当館と旧東海道を隔ててすぐのところにあります。






 館内の展示物の目玉でもある代官所関連の品々は、25年ほど前に新校舎建設に先立って行われた発掘調査で出土しました。
 また、明治初期に創立され県内で最も歴史が古く、江戸時代には代官所が置かれた特別な場所に位置しています。

 さて、3年生の担任の先生からは「東海道」について学べるように準備するよう依頼がありましたが、授業では歴史はまだ学習していません。ふだんから子どもたちをよく知る語り部のひとりが「ちょっと(歴史は)難しいのでは」と心配顔。正直、私も同じ気持ちでした。そこで、館長は子どもたちが興味を持ってくれそうな内容のプリントを作成し、来館に先立って学校へ出向いて話をしました。

 当日は今にも雨が降りそうな空模様でしたが、朝から子どもたちの元気な声が響きました。館内の展示品を前に、小さな目はキラキラ。「これは何ですか」「〇〇どこにありますか」・・・など、次々と質問が飛び交います。

 あの子たちには難しいのではないかという不安は杞憂でした。今はインターネットやゲーム等で、知っている子は知っている、わからなくても当館に来た事がきっかけで興味の始まりになる可能性がある、強くそう感じました。現に、次の日曜日に、女の子が「授業のときは時間が足りなかったから」と再び来てくれました。
 難しいかもと心配していた語り部さんも「1年で、こんなに成長するのか」と驚いていました。

 新年度には4年生に進級する子どもたち。当館で一緒に過ごした時間は決して長くはありませんでしたが、楽しいひとときとなりました。そして、私たち大人にとっても学びのある、貴重な経験となりました。(Y) 

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 三重県四日市市富田2丁目にある、鳥出神社(とりでじんじゃ)です。

 




 主祭神に日本武尊を祀り、古くから三重県四日市市富田の氏神として、武運・豊漁・豊作・繁栄をもたらしてきた神社です。8月に行われる鳥出神社の鯨船行事はユネスコの無形文化遺産に登録されています。

 



 絵馬にも、鳥出神社の鯨船行事が描かれています。

 

 鳥出神社の鯨船行事は、北勢地方に分布する全国的にも珍しい陸上の模擬捕鯨行事の中で最も古来の様式を保持した典型的な祭礼行事です。

 






 行事は4つの組(北島組・中島組・南島組・古川町)からそれぞれ1艘ずつの豪華な彫刻や幕で飾られた鯨船山車(神社丸・神徳丸・感應丸・権現丸)が出され、これで張りぼての鯨を追いかけ、反撃を受けては再び追い詰めてこれを仕留めるという一連の演技を繰り返し行うものです。

 

 毎年8月14日と15日に行われ、14日に町練り、15日には鳥出神社への練り込み(本練り)が行われます。この行事は鯨を大漁や富貴(ふうき)の象徴と見なし、これを仕留める演技を行うことによって豊穣を祈願する行事として民俗学的に注目されています。

 

 鳥出神社に残る鯨船行事の由緒書きには、天明元年(1781年)から行事が始まったと書かれているそうです。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 名古屋市熱田区神宮1丁目にある、熱田神宮(あつたじんぐう)です。




  三種の神器の一つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀り、昔から「熱田さま」と親しまれている熱田神宮。境内は広く、本宮のほかに別宮が1社、摂社が8社、末社が19社祀られています。


 また、熱田神宮は、刀剣をはじめ、絵画や彫刻など幅広い宝物を所蔵することでも知られます。それらを保管・展示している「宝物館」「草薙館」も、有料で拝観することができます。

 ちなみに、熱田神宮や伊勢神宮、明治神宮などの名前にある「神宮」とは、神社の称号の一種です。皇室とゆかりの深い神社に「神宮」が用いられます。


 熱田神宮境内にある信長塀(のぶながべい)は、織田信長が熱田神宮に寄進した築地塀です。
 永禄3年(1560)、信長は桶狭間の戦い出陣の際、熱田神宮に願文を奏して大勝しました。その御礼として奉納した瓦ぶきの塀が信長塀と呼ばれます。
 信長塀は土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねて作られています。当時は全長400メートルあったといわれますが、現在は120メートル程です。西宮神社の大練塀(兵庫)、三十三間堂の太閤塀(京都)と並ぶ日本三大土塀の一つとして有名です。



 絵馬は、平成22年寅年の干支絵馬です。

 資料館の2階には壁面一杯、たくさんの絵馬が掛けられています。

 

 愛知県名古屋市昭和区御器所2丁目にある、尾陽神社(びようじんじゃ)です。

 





 ご祭神には、

 「天照大神(あまてらすおおみかみ)」

 「徳川義直(とくがわよしなお)」(尾張藩初代藩主)

 「徳川慶勝(とくがわよしかつ)」(尾張藩最後の藩主)

をお祀りされています。

 




 江戸時代が終わって明治の世になったとき、旧尾張藩士たちの間で義直を祀ろうという話が持ち上がり、明治8年(1875年)に義直を、明治31年(1898年)に慶勝を、それぞれ名古屋東照宮に合祀したのが尾陽神社の始まりで、明治43年(1910年)名古屋城築城300年を記念して創建されました。

 





 絵馬は、寅年の開運干支絵馬、摂社として祀られている、栄世稲荷神社(えいせいいなりじんじゃ)と久延彦神社(くえひこじんじゃ)の絵馬3題です。

 



 栄世稲荷神社は、昭和48年(1973年)に、久延彦神社は、昭和51年(1976年)に祀られました。