引越マニア | 沖縄人になりたい東京下町男の物語

沖縄人になりたい東京下町男の物語

2006年2月沖縄移住
☆2006年3月~宿&ショットバーを開店

今日は海には行けず、ひたすら家と店の往復・・・3往復程度だけどね・・・


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沖縄らしい画像を載せられず申し訳御座いません・・・引越しの準備というか片付け・・・かなり大変です


忙しいから沖縄の人たちにも挨拶や報告が出来てなくてねぇ・・・これもまた申し訳ないんだけどねぇ


なんせ8月1日には東京へ飛ばなきゃいけないので忙しい忙しい・・・忙しくて親父の四十九日まで忘れてた


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少しだけ大物の荷物が減ってるのわかるかな・・・わかんないよね、店に来た事がある人じゃないと(笑)


来てたってこんな状態じゃわからないか、、、手作り木製カウンターがあっさりと売れてくれて良かったぁ


でも寂しい気持ちもある・・・もっとこの場所で闘いたかったからなぁ・・・闘ったところで負けは見えてるけどね


今日はカウンターやらソファーやらオーブンレンジやら7種類くらい売れたんかな・・・明日はもっと忙しい


明日はテレビ2台、カウンターキッチン、ブロック&レンガ、ベンチ2台などなど今日以上に忙しく売れる予定


今もずっとパソコンと携帯でやり取りしてようやく眠りにつける・・・売るのは大変だが無職だし時間はある


無職は無職でもこうやって稼げるんだから沖縄は素晴らしい・・・東京じゃこんなもん売れやしないのにね


リサイクルで利用してくれるのは嬉しいことだ、、、どこかの町で俺の物が活躍して喜ぶ人がいるんだからね


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嫁さんから今日はお父さんの四十九日だよと聞かされて『おう、そっか、』と気付く馬鹿息子である・・・


正直な事を言うと四十九日だか法事だか俺には良くわかんないことでわかんなくていいと思ってるくらいだ


死者を敬う気持ちはもちろんあるし先祖や仲間に対しても敬う気持ちはある、、、それは心の中であればいい


形的なものは俺には必要なくて常に俺の中では亡くなってしまった人のことは思ってるわけで生きてもいる


この写真は親父の会社の社員達が親父の誕生日をお祝いしてくれているところ・・・今年の4月8日の事だ


この日に余命1ヶ月だと親父自身が病院の先生から聞かされている・・・むごい現実でありこの後1ヶ月生きた


親父のこんな姿を初めてみた・・・親父の誕生日をお祝いをした記憶がないんだよね・・・


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この写真やらは親父の会社の社員の人が俺に送ってくれたんだけどね、、、良い写真を貰ったよ


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親父は最後の最後までラグビーが好きだったんだね・・・東芝の日本一メンバーに中華をご馳走して満足気だ


ラグビーっていうよりスポーツは好きだったんだろうなぁ・・・ゴルフしてテニスしてスキーしてと何でもやってた


会社にはボクシングの畑山さんと一緒に写ってる写真もあった、、、畑山さんがなぜうちの会社に来たんだろう


親父はそういったことを全く自慢しないからなぁ、、、きっと自分だけ満足すればどうでも良い事なんだろうね


こうやって一流選手にご馳走することがステイタスで恩を着せることなく自分だけの満足感を得てたんだね


親父、嬉しかったろうなぁ、皆と並んで食事して日本一のラグビー選手に囲まれてね♪良い顔してるわぃ

まぁ、親父の話はこんくらいで終わろう、、、俺は俺でしなきゃいけないことが山ほど海ほどあるわけだかんね


さてと明日は昼前から店に行かなきゃならんなぁ・・・夜遅くまで取引きが続きそうだし明日も大変だ


ではではまた明日という事でね~、、、皆さんも物は大切にしやしょ~♪