旅人(たびんちゅ) | 沖縄人になりたい東京下町男の物語

沖縄人になりたい東京下町男の物語

2006年2月沖縄移住
☆2006年3月~宿&ショットバーを開店

昨晩、愛犬ムサシの散歩を終え我が家の駐車場で休憩してた


夜の9時くらいに携帯に『うっちぃ』という名前が出てメールが届いた


今、入院して癌と闘っているウッチィがメールをくれた・・・心なしか嬉しくもあり


でも娘さんが送ってくれたメールだった・・・26日の朝4時25分に息を引き取りましたと


涙流しながら愛犬ムサシの頭や顔を撫でながら泣いた


気持ちが落ち着いてから相方に報告してBARをすぐに閉めた


ウッチィとの思い出の写真を持ちココナッツムーンへと行った



ウッチィに生ビールとジントニックを飲ませてあげた・・・煙草も吸わせた


僕が東京で経営していたBARでウッチィと出会った


近くの店でシェフとして働いていたウッチィは最初から豪快な男だった


料理の世界で一流な人である、博打、女が大好きな人で酒はオマケのようなものだったと思う


僕の東京の店には沖縄の写真が何百枚と貼ってあった


その中にココナッツムーンの写真も多くてそれを見ながらウッチィは


『タフよぉ、こんな遠くに行っちゃうんだなぁ、でも必ず行くからここで飲もう』


僕はココナッツムーンのパパやママの話をよくウッチィにしていた


沖縄にお父さんお母さんのような人が居るからその人達の側で暮らしたいんだと


ウッチィは『タフがそれだけ言う人は珍しいよなぁ、会ってみてぇなぁ、良い所なんだろぅ』



お互いに2人きりで飲む機会が多かったなぁ、歳は離れてるけど対等に付き合えた


付き合えたというより付き合ってくれたんだろうなウッチィがね


いつもお互いに本音で話すし仕事やプライベートの話や昔話をしたもんだ


『タフは嬉しいこというねぇ、俺、本気になっちゃうよ』とよく言ってたなぁ


『やりてぇ事は全てやって来たけどまだやりてぇ事あるなぁ』


『1人でタフみたいに店をやってみてぇなぁ、でも俺がやったらすぐ潰れるよな』


僕は沖縄に一緒に行くかと誘った事がある・・・でも言ってみたものの僕に力がなくてね


ウッチィは『給料なんかいらねぇよ、元気になったら行くよ』って・・・


皆に食べさせたかったなぁ、ウッチィのお任せする料理は本当に美味しかった


彼も常に僕の味方で居てくれた男でした・・・


『タフが何をしようが俺はタフが好きだからタフを信じるしタフを尊敬してる』


また1人、数少ない真の味方が遠くへ行っちゃったなぁ



東京の我が住まいにも泊まりに来た事があって愛猫タフィとも一緒に寝た事がある


愛猫タフィにもウッチィが居なくなっちまったぞって話した・・・


ウッチィとは一緒に飲み歩いたり健康ランド行ったりサウナ行ったり遊んだなぁ


何年か前のウッチィへの誕生日プレゼントはサウナで豪遊だった


マッサージしたり飲んで食べたりで楽しい1日だったよなぁ


ウッチィの事で話したい事はいっぱいあるんだけどここでやめておこう


娘さんとは2度お会いした事あるんだけど良い子でねぇ


これも何かの縁だと思うしウッチィが居なくなっても縁が続けばなと思ってます


手紙をウッチィに送ったんだけど数日遅かったみたいでね


娘さんが父の前で読ませて頂きますと言ってくれました・・・ありがとうございます


その手紙を届けてくれる親友にもとても感謝しています、ありがとう


苦しくて、痛かっただろうねウッチィ・・・ゆっくり休んで天国でも内田節を炸裂させてよ


病気って憎たらしいねぇ・・・悔しいねぇ・・・ちくしょぅ


内田孝之という男が居たと沖縄の仲間にも伝えてるからね


昨日はココナッツムーンの仲間達も一緒に乾杯してくれました、ありがとうね


乾杯してくれた内の1人であるエドが言ってました


『旅人(たびんちゅ)となっただけだから悲しんではいけない』


自由に気ままに旅して休んで欲しいなぁと思います、そのうち沖縄にもおいで♪


ではでは安らかに、またどこかで乾杯しようじゃないか