種子島に鉄砲が伝来した後,鉄砲は将軍や大名間の進物や贈答品として利用された。新兵器というのはもちろんだが,珍品としての価値があったからでもある。
インドや中国しか知らなかった日本人が,鉄砲伝来により南蛮人という異民族を知ったということも贈答品としての鉄砲の価値を高めただろう。鉄砲伝来直後は,数が極端に少ないためどんな鉄砲でも贈答品になりえたに違いない。
しかし,諸国に鉄砲が広がった戦国末期には,南蛮筒と呼ばれる南蛮で製造された鉄砲が贈答品として利用されるようになった。例えば,豊臣秀吉や徳川家康が,南蛮筒を贈答品に利用したことが記録上からも,明らかである。
南蛮筒
国立歴史民俗博物館所蔵
江戸時代になり天下泰平の世になると,鉄砲は単なる武器としてではなく美術品として製造されるものも多くなった。戦いのない天下太平の社会は,武器を美術品として生み出す力があるのだ。金山城伊達・相馬鉄砲館には銃床に総蒔絵を施した二丁の火縄銃が展示されている。どちらの鉄砲も,蒔絵や象嵌が施された一級の美術品だ。兵器を美術品にしてしまう時代,それが江戸時代なのである。
総蒔絵を施した火縄銃
金山城伊達・相馬鉄砲館所蔵