火縄銃に特化した『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,仙台藩領南部の城塞群の一つである金山城の麓に所在する。金山城は,仙台藩と相馬藩の境目の城で,伊達家の重臣中島氏が知行二千石で入り明治まで続いた。この城は二千石の身代の家臣が入る城とは思えないほどに大きな山城である。
金山城の大手口の最前線には,「出溜(でだま)り」と称する枡形が設けられていた。桝形とは,四方を石垣や塀に囲まれた防御施設である。有事の際には強力な防衛拠点ともなり,出撃部隊を編成する場所ともなった。出溜りのすぐ隣には筆頭家老の屋敷があり長い土塀を連ねて桝形を構成している。
去年の3月26日の金山城家老屋敷
今年の3月26日の金山城家老屋敷
出溜りから金山城の大手門へ続く坂道の両側には,武家屋敷が軒を連ねていた。大手門を守るトーチカの役割を果たすためである。金山城の大手門へ攻め上る敵兵はまずは,このトーチカ群を攻め潰さなければなかったのである。
金山城の大手門へ続く坂道
金山城御城下の昔は,二件の武家屋敷や石垣遺構,武家屋敷跡地などに残されている。坂道の中程には,今や盛りとばかり勿忘草(忘れな草)の群落が咲き誇っていた。
ワスレナグサ
昭和62年に金山城跡は,宮城新観光名所百選に指定された。坂道の頂上近くには,「河北新報創刊90年記念 宮城新観光名所百選 指定」のプレートが設置されている。この指定をテコにして地域活性化を図れなかったのだろうか。そんなことを思った。
「宮城新観光名所百選 指定」のプレート
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