関流砲術と漬物の殿様 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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 「土浦に過ぎたるものが二つあり。時の太鼓と関の鉄砲。」と謡われたように関流砲術は,土浦藩の自慢であった。関流砲術は大口径砲による長距離射撃を得意とし,4キメロメートル以上の射程を誇る。例えば,関家七代目の関知信は26歳の時の射撃大会で,口径約80ミリの800匁大筒でみごとに的を撃ち抜いた。その時のスコアを記録した古文書が,今も土浦の関宗家に残されている。

 

関勝信百回忌の射撃結果表

真ん中に黒点のある白い菱形が的,白抜きの丸が弾着痕。

右端が関知信の射撃結果。みごとに黒丸を撃ち抜いている。

写真提供 須川薫雄著 『日本の火縄銃2』 <m(__)m>

 

 関家は,江戸屋敷において藩内に限らず広く砲術を伝授し,その門弟には,相馬出羽守,酒井雅楽守,内藤備後守,細川能登守,松平主殿頭などの藩主もおり隆盛を極めた。中でも内藤備後守が藩主を務める平藩は,領内の藤間浦の砂浜で遠距離射撃大演習を行うほど関流砲術の鍛錬に熱心だった。その後,内藤家は延岡藩へ転封となるが,延岡でも関流砲術の大演習を実施している。

 

 

  平藩二代藩主の内藤 忠興は,血の気の多い面白い男だった。大坂冬の陣の際,忠興は父と共に安房国の留守を命じられたが、勝手に手兵150を率いて東海道を駆け上り伏見城に参上して大坂への参陣を頼み込んだという。また平藩主として江戸在府中,忠興は国元から大根の漬物を取り寄せていた。そして塩辛くない浅漬けが欲しいとか、塩辛くなくシワがあるように漬けて寄こせとかの注文をつけることが多かった。何度注文しても塩辛い漬物ばかりを送って寄こすので「沙汰の限り」だと怒り出してしまったという。

宮城県丸森町の筆甫地区の漬物

三年前に,宮城県丸森町筆甫でたたら製鉄を見学した際に

振舞われた様々な漬物。かなり美味しかったです。 \(^o^)/

 

 この漬物へのこだわりは,米食いの日本人らしい話ではある。遠く離れた国元の大根漬けを江戸まで送らせるとは,平で採れる大根はよほど美味かったのであろうか。いつか福島県いわき市に行って,平の大根を食べてみたいものである。