伊予の鉄砲 大洲と宇和島 総集編その1 | todou455のブログ 火縄銃ときどき山登り

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伊予の鉄砲 大洲と宇和島  総集編その1

  四国で一番好きな町大洲と伊予の鉄砲

たびたび四国を訪れたが,私が,四国で一番好きな町は大洲だ。

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         大洲城天守閣                        大洲城から肱川を望む

    加藤出羽守6石の城下町大洲は,古い町並みが残り,伊予の小京都と呼ばれている。肱川の鮎の出汁で里芋を煮る芋だきは,藩政時代から今に続く秋の楽しみのひとつだ。

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   大洲市市街地の商店        長崎式カステラの看板が泣かせる

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       明治の家並                           臥龍山荘
伊予の国には,松山藩15万石,宇和島藩10万石,大洲藩6万石,今治藩35千石,西条藩3万石,吉田藩3万石,小松藩1万石,新谷藩1万石の八つの藩が林立していた。このうち,吉田藩は,宇和島藩の支藩であり,新谷藩は大洲藩からの分治である。これら八藩を合わせると総石高は四十三万石ほどであるが,この地域一帯から,伊予筒と呼ばれる地域的な特徴の強い鉄砲が生まれた。

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       井上関衛門が製銃した典型的な伊予筒

大洲藩と宇和島藩の鉄砲はなぜ似てるのだ ?

伊予八藩の中で,鍛冶名鑑
(「日本の鉄砲鍛冶」卜部日出明著)に搭載されている鉄砲鍛冶は,宇和島藩(支藩の吉田藩を含む)28人が一番多い。それに次ぐのは大洲藩(分治の新谷藩を含む)26
人である。伊予八藩のうちで両藩が特に製銃が盛んだったことを示している。驚くべきことに,大洲藩領と宇和島藩領で製造された火縄銃が,ほとんど見分けがつかないほど酷似している。伊予筒と呼ばれる鉄砲の起源は,南伊予にあるものと考えられるのだ。

イメージ 8上が宇和島藩の鉄砲,下が大洲藩の鉄砲,非常に酷似している
両藩は支藩の吉田藩を挟んで隣藩同士だが,軍事機密である鉄砲が,大洲と宇和島の両藩で酷似していることは,地政学的な親和性だけで説明しきれず,両藩の鉄砲鍛冶の交流や製銃技術の共有がなければありえないことである。さらに面白いことには,伊予筒の外形は紀州筒に酷似しており,引き金を含む機関部は仙台筒と同じ外記カラクリなのである。これは一体どういうことなのであろうか。

参考文献  (あいうえお順  敬称省略)
          日本の古銃 総論編    澤田平著           
          日本の火縄銃1,2,3  須川薫雄著
            図解古銃辞典         所  荘吉
          
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