どの2つの科目を選ぶだろうか、と今日ふと思ってみた。
多分、まずは「地理」を選ぶと思う。
地理は高校で習ったことがないが、
統計やグラフの数値から推理して、
日常の身の回りのことや、世界のどこかで起こっている出来事を知り、意味を持ったものとして解釈していく、
そういう科目はとても知性的で興味深いものだと思った。
政治経済や一般常識とも結びつくので、
最初の取っ付きやすさはある。知識量だけがものをいう科目ではないため、どれだけ勉強しても終わりが見えないところが多少精神的不安につながるのだけが心配か。
残り2つ(世界史・日本史)なら、どっちを選ぶだろう?
今日の東大オープンの問題を見たけど、
世界史と地理は、初心者の人でも歓迎します的なムードを少し感じたが、
一方で日本史は、まるで森の奥深くに密かに佇む、因習的で畳と土の匂いがする村があって、
その村から線香の香りに包まれた隠居老人のお経が聞こえてくる的な、
そんな謎の神秘性(敷居の高さ?)を感じた。
修学旅行などで、お寺や遺跡を訪れた時に感じる、あの懐かしいような非日常とも言える感覚だ。
ちなみにこの異質な感覚は古文を読むときにも少し感じることがある。
要は、人って例えば「現代文は才能だ」みたいによくわからんことを言うのと同じで、
自分の苦手意識を持つ事柄について、正面から合理的に向き合って考えたくないから、
「防衛機制」みたいな感じで「それは神秘的なものだ!」などとお茶を濁して、体裁が良くてもっともらしい言葉で逃げてしまうんだろう。
まるで、サイードの説く「オリエンタリズム」の考え方のようだ。
ちなみに私も逃げてしまった。
昔、高校時代の話だが、実は日本史選択者だった私は、高3のはじめにマーク模試でまさかの日本史40点台をとってしまい、
仏像の名前とか役職の名前とか覚えるのに辟易としていた頃だったのも相まって、
洗練されててかっこいいイメージだった(と当時は思っていた)世界史Bに、早々と「逃亡」してしまったのだ。
まあ、、世界史もヨーロッパの中世・近世史には興味が持てたが、アジア史にどうしても興味が持てず、
別の意味でかなり精神的な苦痛を味わったが。。
ちなみに余談だが、大学で文系学部に進む場合、社会科目の中で圧倒的に使ったのが世界史の知識だった。
次に使うのは倫理かな。あとはたまに政経も。
ところが、一旦社会人になると、
打って変わって日本史の話題に頻繁に出くわすことになる。
特に年配の役職のある人と話すときに多い。
もちろん、そのとき私は、彼ら教養の深い人達が話している姿をまるで「神秘的なもの」を目の当たりにしたかのように、口をぽかんと開けて黙って見ているのである。
(沈黙は金なり、という格言があって、よくわからん話を聞いてるときは、黙って微笑みを浮かべながら頷いていれば、相手が「こいつは実はすごい人物なのではないか!?」と勝手に勘違いしてくれるらしい。ばっちゃが言ってた。)
ということで、どういうわけか、
今の私はなぜか日本史に後ろ髪が引かれるようだ。
考えてみれば、世界史で60点中10点ぐらいなんて、あって無いような知識量だし、日本史も世界史とそこまでスタートラインは変わるまい。
実は、ちょっと前に、山川出版社の中で「一番やさしい」と言われる教科書を買ってきた。
あの有名な『詳説日本史B』と比べると、
この教科書は全部で330ページぐらいしかなく、
しかも太文字がかなり少ない。
おそらく、偏差値50以下の公立高校で採用されることを想定した教科書なのだろう。
ひとまずは、この教科書の太文字を覚えながら通読してみる。
これでも挫折したら、漫画本や一般書の購入も検討してみようと思う。(この前、加来耕三の『
教科書が教えない日本史の名場面』という本を買ってきた。)
教養深い人になれたらいいなあ。
(追記:
ちなみに、もしこれらの科目の選択肢に「倫理」が追加されてたら、倫理ヲタの私なら、迷うことなく「倫理」を選びます!
大学でも規範倫理学や法哲学、それから哲学史の講義を取りまくってた。倫理可愛いよ倫理!皆さんにもおすすめ!)