9.
「美波」
旅館の中庭で一人そっと佇んでいる美波に向かって静かにそう呼びかけた。
「あれ、敦。どうしたの」
呼びかけられた美波は、長く艶やかな髪をサラッとなびかせてこちらを振り返った。
「いや、ちょっと星空でも眺めながら外の空気でも吸おうかなと思ってさ。ロビー降りてきたら美波が外出ようとしてたからついてきた」
「そっか。私も同じだよ」
「同じか」
そう言葉を返し星空を眺めた。
一つ一つの星はとても小さな灯りだが、それぞれが力強く煌めいていて、そしてその小さな星たちが集まって一つの大きな川を形成していた。
その川は流れることなくただそこにじっと佇んでいるばかりで、少し寂しい感じもしたが、流れない川を見上げていると恒久の時間を過ごしているかのようで、違う世界の一員になったかのようで、どこか居心地が良かった。
「ふわーーあ」
俺はあぐびをしながらも、その川に向かって両手を力一杯突き上げた。
星の川は目の前にあって手を伸ばせば取ることが出来そうだったが、いざ伸ばしてみるとそこまでの距離はあまりに遠く、手に取ることなど決して叶わず一気に現実に引き戻された。
「運転させちゃってごめんね。疲れたでしょ」
「まあ疲れてはいるけど、楽しいから大丈夫だよ」
「そっか。ならいいんだけど……ありがとね」
「いいって」
そのまま俺たちの間には無言の時が流れ、二人揃って星の川を見つめていた。
「なんかのどかでいいなー。私も、毎日こんな風にのどかに暮らしたい」
笑顔ではあったが、その笑顔は日中に見せていたような楽しさや面白みのこもっている笑いではなく、明らかに作られていた笑顔で、月明かりのせいかとても儚く見えた。
「なあ美波、何があったんだよ。部活中も、仕事はしっかりとこなしてくれてるけど、時々うかない表情してるしさ」
「そっか。敦はやっぱりそういうところ気が付いてくれてるんだね」
「他のみんながどうなのかは知らないけど、少なくとも俺はすぐわかったよ」
「さすがだね。真佑が好きになるのも無理ないわ」
美波はその最後の部分だけ独り言のように小声で言ったため、俺はよく聞き取ることができなかった。
「え?」
「ううん。何でもないよ」
「そっか。でもとりあえずさ、良かったら何があったのか話してくれないかな」
「敦は気付いてくれてるし話さなきゃね。たださ、これから話すことみんなに言わないでほしいのと、敦もひかないでほしい」
「約束するよ」
「はじめに言っておくけど、これから話すことは生易しい話ではないからね」
「うん」
「ここだとさ、もしかしたら誰かに聞かれるかもしれないからちょっと離れない?」
「わかった」
そうして俺たちは、旅館の入口から続く山道をゆっくりと歩いた。
この旅館は山の中間地点にあり、旅館の入口からはある程度の景色を眺められる。
しかし、旅館前の山道を更に登ったところには小さな丘があって、その丘には小さな展望台がありそこからはこの町全体と海のコントラストを見下ろすように一望できる。
俺たちはその展望台に続く山道をゆっくりと歩き始めた。
夏の夜独特の蒸し暑い夜ではあったが、ほのかに涼しい風がなびいてきてとても心地よい夜だった。
何の虫かは定かではないが幾多の虫の鳴き声が聞こえてきて、その鳴き声も心地よい夜を彩る一部となっていた。
「ねー敦はさ、家族ってなんだと思う?」
虫の鳴き声に耳を澄ませていると、美波がそう話を切り出した。
「家族?」
「うん」
「ごめん、そんなこと考えたことなかったわ」
「そりゃそうだよね。私も小さい頃はそうだったよ。ただ一緒の家で、一緒に生活している人が家族なんだって、ただ純粋にそう思ってた」
「それは俺も同じかな。俺一人っ子で両親と暮らしてるから三人家族なんだけどさ。俺が幼稚園の頃、訳あって親父の弟も一緒に住んでたんだよ。その訳ってのも、弟さんは結婚して東北の方に住んでたんだけど、しばらく単身赴任でこっちに来なきゃいけなくなったらしいから、その間だけ一緒に生活してたんだけどさ。でも一緒に住んでるから、この人も家族なんだって。僕にはお父さんが二人いるんだって、友達に自慢してたらしいんだよね」
「へー」
美波はそれを聞いてほっこりとしたのか、柔らかい笑顔を浮かべていた。
「敦にも、そんな可愛い頃があったんだね」
「うるさいわ」
「じゃあ今はさ、その人のこと家族だって思う?」
「いや……思わないかな。だってその人は一緒に住んでいただけで、本当の家族ではないと思うし……。まぁ、親戚ではあるけどさ」
「じゃあ、家族と親戚は何が違うと思う?」
「家族は……自分から見て、自分を生んでくれた親やまたその兄弟で……親戚ってのは親の兄弟とかそのまた子どもとかじゃないかな」
「じゃあ、本当の意味での家族ってなんだと思う?」
「本当の意味……?それどういうこと?」
「例えば……子どもを産んだは産んだけど、その子の面倒をろくに見なかったり虐待するような親でも、その子を産んだってだけで家族なのかな?もし孤児院とかにいて、誰かにもらわれて育った身だとしてさ?自分の子どもではないのに、我が子のようにたくさんの愛情を注いで育ててくれた里親の人は家族にならないの?」
「それは……」
美波の言わんとしていることは、少なからずわかったような気がした。
美波の家庭での状況がどんなものなのかはわからないが、家族のことで悩んでいることはわかった。
ここで俺は、何かしらの言葉をかけて美波を支えてあげなきゃいけない。
しかし、その俺の思いとは裏腹になんの言葉も浮かんでこなかった。
いくら考えても、自分の今までの経験や学んできた知識を振り返ってみても、美波のいう「本当の家族とは何か」という問に対する答えが浮かんでこなかった。