物理学の基本のおさらい。
知らない人向け。

世の中は「連続」ではありません。
時間や空間、素粒子の状態は、飛び飛びに変化します。
つまり、アナログ時計的じゃなくて、デジタル時計的なんですね。
もっと言うと、アナログ時計も、精密に見れば、デジタルなんです。

と、いうことは。
例えば野球で、打者が1塁のベースを踏むのと、1塁への送球キャッチが、完全に同一の時間に起きることがあり得るということです。
野球のルールブックには、「走者が早ければセーフ、遅ければアウト」といった記述はありますが、「同時だった場合」については触れられていません。これは、世界がアナログで連続的であり、「無限小の解像度で見れば」必ずどちらかが先であるという誤った認識に基づいて作られたルールと言っても良いでしょう。
実際には、「無限小の解像度」というのは存在せず、有限確定値の解像度があるのみなのです。

同じく、色などもそうです。
色は連続的であるように思われますが、実際にはある色と、それに近い別の色は、不連続です。
なぜなら、物質やエネルギーの全ては不連続だからです。

このような知見は、高校物理ではなく大学の物理学で習うので、知らない人はぜひとも覚えておきましょう!
SM

いつも思うんだが、第一三共は、なんでこんな変態専用の胃薬作ってるんだろうね。
処方されるおれもおれだが。
まあ確かにドSなので、間違っていない。
「内閣総理大臣よりも東京都知事の方がよっぽど権力を持っている」という、ごく基本的な認識を述べたら、「ちーちゃん」というバカとそのつれが必死になって「とつげきは常識はずれ」などと反発している。

こちら

 だが、おれが述べたことは、常識。

 例えば佐々木信夫中央大学教授は、「ポリタス」の記事『都知事とは何か――都民も知らないその権力の源泉を知る』において、都知事の権力が内閣総理大臣のそれを上回ることを認めている。
 いや、大学教授の権威に頼るまでもない。この程度の教養は、ある程度のレベルの人にとっては当然なのだ。
 こういった認識が常識であることは、例えば、R-25のこちらの記事や、こちらのまとめにも載っている。別にこれらに限らない。ググればすぐ多様な記事が出てくる。
 あまりにも初歩的知識なのである。

 万一、知らなかったとしても、その場で仕組みを考えればわかること。

 まず、内閣総理大臣は議院内閣制なのに対して、東京都知事は大統領制。その時点で裁量の程度が全然違う。
 知事は予算の編成及び執行権や都道府県職員の人事権、政策立案、規則制定/拒否権など、あらゆる権力を掌握しているのに対し、内閣総理大臣はせいぜい閣僚の人事権を持っている程度、相手にならない。
 内閣総理大臣は、予算編成権もなければ、規則を制定又は拒否することなどできないし、たかが一般の国家公務員1人を異動させることすらできないのだ。

 ちなみに地方自治法も改正されていて、昔は「国>地方」という権威(権力ではない)関係があったのに対して、今では「国=地方」となっている。
 国から地方交付税交付金を1円ももらっていない唯一の都道府県である東京都の権力は、想像を絶するわけで、国と対等以上に話しあえる。

 知識も知性も両方ない人だけが、こういった事実に思い至らないのである。

 また、単に権力だけでなく、金銭的収入も「東京都知事>内閣総理大臣」である。
 平成28年4月1日時点で、
  ・内閣総理大臣を4年歴任した場合の賃金:約1億1650万円。
  ・東京都知事を4年歴任した場合の賃金:約1億4000万円。
 東京都知事は、在任1月ごとに退職金が相当上がるため、その差だ。
「それは東京都知事だけが特別なんだろ!」と思うかも知れないが、まったく違う。知事の中で最も高給なのは東京都知事ではない。
 しかも、東京都知事は不祥事を起こさない限り4年間安泰だが、内閣総理大臣は政局ですぐに辞任に追い込まれるリスクもある。


 これらを総合すれば、知事の力がいかに絶大かわかるだろう。


 こんなことすら知らず、知らないならせめて検索か分析すれば良いのにできなかったちーちゃんは、2ちゃんねるの政治板にまで書き込んで、「とつげき東北が総理大臣より東京都知事のほうが権力ある!とか言いだした。また 常識はずれなこと言って 馬鹿さらしてる」「政治広場のみんなが唖然としている」と騒いでいる。唖然とするのはこちらだ。
 当然の帰結として、「ちーちゃんという奴が本当のバカだろwwwwwwwww」「ちーちゃんは小卒か?」と一蹴されて終わっているが。

 無知で非常識かつ知性不足で怠慢であるが故に愚行に走っているにもかかわらず、自らが正当であると本気で信じ込んで大恥をかいている姿が、この上なく醜い。
公務員給与


人事院は、2012年10月1日、「公務員給与決定における議会の役割~米国・ドイツにおける考え方を踏まえて」と題したパネルディスカッションを開催した。

上のグラフは、アメリカからティモシー・カリー氏(アメリカ人事管理庁労使関係担当副長官補)、ドイツからダニエル・クリスティアンス氏(ドイツ連邦内務省給与担当課長)がパネリストとして報告した際に示された正規国家公務員賃金の国際比較とのこと。

日本の正規国家公務員の賃金は、アメリカの6~7割しかないのである。


さて、他方、「日本は公務員人件費が高すぎる」とか「赤字財政なのに公務員にボーナスを出すな」といった、滅法頭の悪い主張がされることがあるが、財政の赤字と公務員給与は無関係である。

OECDが公式に発表している、ギリシャを含む32ヵ国のうち、対GDP比で公務員及び公的部門職員への人件費が最も少ないのが日本。つまり公務員(「みなし公務員」も含む)の人件費が32ヵ国中最低。
しかし、対GDP比の財政赤字は2000年以降、ずっと世界最悪である。
つまりこれは、「公務員の人件費」と「財政赤字」が全く無関係であることを意味しているのである。


いい加減、公務員を叩いて憂さを晴らすだけで何かが変わると思い込むのはよそう。
【経済学者ごときは哲学者やなんかの下等動物と同じ穴のムジナで満足すべき】
ナシーム・ニコラス・タレブ著『ブラック・スワン(下)』(ダイヤモンド社)より。
この記述から、「自然科学>>>>>経済学>哲学」という見解を看守できる。

少し説明を。物理学における「3体問題(知らない人はググってね)」を見ればわかる通り、計算式の初期の値のほんの小さな誤差が、遠い将来には莫大な差を産む。

これはバタフライ効果を見ても、カオス論を見てもわかることで、最初にポアンカレが示した。たった3つの物体の古典力学の問題ですら、遠い将来については、全然予測ができないのだ。

現実の世界には、たった3つの物体しかないわけではない。超複雑だ。1年後の天気を予想するなら、遥か100億光年先の全ての素粒子の状態が完全に把握できていなければいけない。結果に有意な誤差を与えるからだ。

それなのに、計量経済学なんかは何本も微分方程式を立てて、遠い未来の経済予測をやろうとしている。こんなのは学問でも何でもない。ただの占いに過ぎない、ということである。哲学レベルだとはそういうこと。

実際の例。ノーベル経済学賞受賞者たちが作った投資機関「LTCM」は、必死に過去の株価変動のデータ等を計算し、「絶対に儲かる」投資を行っていた。数年の後、LTCMは完全に破産した。なぜか? 数学に頼っていたからだ。
株価動向の予想を含む経済の主要な分野では、先を読むことなど原理的に不可能なのだ。
(おれが「株式投資なんて運だ」といつも言っているのはこのためだ)

この「遠い未来については、誰も、どのような方法に拠っても原理的に予測ができない」という学問的事実について、われわれは充分に自覚的であるべきだ。
以上は基礎的な教養だが、知らないと大恥をかくことになるから留意すべし。

※おっと、「水の中に、重い物質を沈めた。地震等の外的要因がない限り、この物質は浮き上がらない」は、数十年後までも予測が可能だ。統計力学的に、各水分子の動きが特定の方向(重い物質を下から上に上げる方向)にたまたま向く確率は、大数の法則から考えて「ほぼ無限に小さい」ためだ。われわれは、部屋の中の酸素分子が「たまたま」偏って部屋の隅に集まってしまい(数学的にはあり得ることだ。ごく小さな確率だけど)、二酸化炭素中毒で窒息死する脅威に晒されてはいない。世の中には、確率的な問題により、予測が充分に可能なものもあることは追記しておく。

※ちなみに、テツガクとやらの論文には数式が出てくることがあるが、これがことごとく低レベルな間違いをしている。理系で大学1年の物理学を学んでいれば、すぐに間違いが指摘できるレベルだ。そういった論文が、世界的に権威のある哲学誌に普通に登場する(詳細は『知の欺瞞』参照)。テツガクは学問ではない。
東北大学電気系同窓会から、同窓会の案内が来た。
氏名、生年月日、出身高校、所属していた研究室の教官名、住所電話番号まで情報がそろっているのに、「勤務先」が空欄、無職になってる!

総会


確かにおれが公務員になったとか、いちいち大学に伝えてないからなー!w


まてよ!?

これは、ちーちゃんの言う「とつげきは無職で生活保護」の根拠となるのではないか!?

あ、いやダメか。

ちーちゃん曰く「とつげきは中卒落ちこぼれ」だから、東北大学工学部卒であることを同時に示しもしているこの連絡を根拠にはできないねw

ちーちゃん惜しい!
 これはいつかどこかで発展させて使おう。単なるメモ。

 ある種の能力が欠落することにより獲得できる別の能力、というものが想定できる。相当簡単な例では、共感能力の欠如とともに、極めて残虐な拷問器具の発明ができるし、卑近な例では、女性の脳が論理性をいささか持たないために、逆に感情的に豊かであったりする。それは単純に、現実である。

 かのロラン・バルトが「記号の帝国」と呼んだ日本語という言語を持つ我が国においては、まさしく言語が極めて構造的であるのと同様、脳構造あるいはそれに基づく「能力」なるものは、本来このように大変構造的な何かではなかろうか。能力のベクトルを放り込んで相関係数を取るくらいやってみたい。

 つまりしばしば平均人によって「あの人は能力が高い/低い」「頭が良い/悪い」といったように平易に二元論のもとに語られる各種の対象が、実は2変数において正にあるいは負に強く相関する別々の「能力」「頭の良さ」を表している可能性は大いにあるのだ。
うちのブログをちょっと紹介したら1日で一気にこのHIT数いった!

アメーバブログ

今後とも、良質な文章を書くことを心掛けていきます。
よろしくお願いします。
 少々長いが故に、主文と従文との関係が曖昧になることから、果たして著作権法上の「引用」に当たるのかに関して、わずかばかりの不安が残るものの、以下、引用する。

【もうあと何年もしないうちに、あの「バスチーユ奪取」の叫びが未知の社会的変動をフランス全土に波及させようとしていた革命前夜のパリで、ダンテの『神曲・地獄篇』の散文訳を幾年もかかって推敲しながら、その古典的教養の豊かさと弁舌の爽やかさ故に文壇の注目を集め、啓蒙時代と呼ばれる十八世紀フランスの文化的支柱ともいうべきヴォルテールの死後、名高い『メルキュール・ド・フランス』誌の文芸時評を担当しはじめたアントワーヌ・リヴァロール Antoine Rivarol(一七五三-一八〇一)は、もし彼が、ベルリン・アカデミーの懸賞論文に応募して第一等となった『フランス語の世界性をめぐる論述』Discours sur l'Universalite* de la langue franc*aise(一七八四)の著者でなかったとしたら、貴族に絶望して人民による王政維持を主張する奇妙な「王党派」の論客として、革命を呪い、人権宣言を愚挙ときめつけ、当時としては独創的な「フランス語辞典」の構想をいだきつつも亡命さきのドイツで客死せざるをえなかった挿話的な人物にとどまり、人びとの記憶から次第に薄れて行ってしまったに違いない。】(蓮實重彦『反=日本語論』ちくま学芸文庫 p202-203、リヴァロール神話より。*部分は引用者によるフランス語表記の意)

 この美しい筆致でしたためられた文章から得られることは、リヴァロールなる人物が「人びとの記憶から次第に薄れ」ずにいられたという偶発的かもしれぬ特権への記憶ではなく、もっと単純に、蓮實重彦氏によるこのたった1つの文が、500文字近い文字によって構成されているという事実への子供らしい驚嘆である。

 なるほど蓮實重彦氏は独特の文体で書かれるし、その明晰性に裏打ちされた修辞学上の作法によって、一文がかなり長いことが多いといまさら確認するまでもないが、原稿用紙1枚をゆうに超えるほどともなれば、そうそうお目にかかれるものではないだろう。
 しばしば大衆によって口にされがちな「本当に良い文章は簡潔に書かれている」といったような陰鬱な虚構に対するこれ以上ない明白な反例として存在するかのごとく、引用した文は流麗な文体によるものというほかなく、かつ、表現すべき内容をほぼ必要十分に表してもいる。

 もし引用した文章を、少しでも冗長であるとか、晦渋であるとか感じるのだとすれば、それは読者がいかにも「読書」という習慣から離れすぎてしまっているか、あるいは大学生水準に到達しない程度に平易すぎる文章にしか触れてこなかったのであろうことが容易に看過されてしまうであろう。
 こういった文章をごく自然に楽しみながら読み、少々の感想を述べることを苦としないレベル、それが日本人として最低限の教養レベルだろうと、ふと感じた次第である。
「頭がいい人は、絶対にから揚げを揚げない」

と冗談を言ったら、多くの衆愚が「とつげきはいつも論理学にうるさいくせに、間違ったことを言っている!」と反論してるので笑う。
いやいや、頭が良いか悪いかと、から揚げを揚げるか否かはほぼ完全に独立だろwww
わかれよwwww

頭が悪いってのは、疾患だな。

たとえばこちらのブログとか、これとかw。認識論すら知らないバカさがにじみ出ていてウケる。