ブログテーマは「日々の生活」にした。アイスショー氷艶に触れてるけど、中身はフィギュアスケートに関係がない話になってるので。
今回、氷艶2024の日程が最初に告知されたとき、まず考えたのは「千秋楽に行くぞ〜」だった。楽は盛り上がるし、平日だからチケットの競争率少し下がるかもしれないし、横浜アリーナは近場だから私はふらっと行けるし。
しかし、ゲストアーティストがゆずと聞いて、「これは上の子も行くかも?」と思う。ゆずは子が音源買ってるアーティストの一人なのだ。
本当は子と行くより一人で行きたい。昔氷艶2019に連れていったことがあるけど、子の反応は今ひとつでお金ドブに捨てたなあと思ったし、家族がいるとこちらも浸りきれないし。
しかしその後の「LUXE」の客入りの悪さも私は見ている。むろんあれはコロナ禍だったからこそだけど、その後のエンタメもあちこち苦戦しているという話も聞いている。
客になりそうな人間がいるなら、逃す手はない。子も社会人になってるから、こちらがチケットを奢る必要もないしね。
ということで聞いてみたら、「行く」とのこと。一緒に行く人がいるなら生歌に触れたい、一人だとコンサートはちょっと、というタイプの人間のようである。
そしてこの時点で、チケットは土日を狙うことになってしまった。平日仕事帰りにライブで弾けて、次の日さくっと仕事に出かける程のスタミナはうちの子はないのである(障がい者なんだよね、うちの子。体力気力が常人ほどない)。
で、土曜日初演の氷艶2024を見て、そのときの感想は実をいうとアメーバ限定記事に書いている。
<引用>
一つ一つの場面はいいのである。引き込まれるのである。
ただ、それが積み重なってだんだん物語の深いところに進んでいってる気持ちに私はなれなかった。赤いりんごの小道具とか、場面と場面を繋げて意味を重ねていく作りにはなってるんだけどね。観ている私が過去の登場場面と目の前の登場場面とをうまく繋げられないのである。
観る方の問題?いやいや、無意識に観客の心に過去の場面をも重ねさせるのも提供側の力量の一つである。
「追いチケットまですることはないかな」と正直思った。
<引用終わり>
このときはこう書いたが、一方で演劇であろうとコンサートであろうと生の舞台は生き物、だんだん熟成されていくことは知っている。
評判が上がっていって駆けつけたくなったら当日券を狙おうとは思っていた。何せ近場なもので。
お譲りとかも出るだろうし、現地に行けばなんとかなるはず、と。
で、日曜のSNSの反応は土曜日と違っていた。お、すでに熟成している?こりゃ、月曜日の感想を見てから火曜日に駆けつけてもいいなと思って、多少下準備もはじめていた。
月曜日の午前中、電話が来た。
「明日、退院することになりそう。」心不全で入院している父からである。
その日の午後、主治医からも電話があった。
完全によくなったわけではないが、もう医療的な処置が必要なわけではない、本人も入院生活が辛くなっているようだから退院させたいと。
と、いうことで火曜日は父の家まで行き、掃除したり買い出ししたり、退院後の生活を整えて夜遅く帰宅する、ということになってしまった。
で、翌日バタバタしながら電車に乗り、SNSを見ながら気がつく。
「もし最初の予定通り千秋楽の火曜日だけ行くつもりだったら、今回の氷艶を観ることはできなかったんだなあ。」と。
退院してからの生活がなんとかやっていけそうか、顔も見ないでほっぽっておくわけにはいかない。公演は諦めるしかなかったろう。その場合、チケットのお譲りすらできたかどうか分からない。空席になってたかな。
そう思うと、巡り合わせだなあと思う。ゆずが出演すること、そしてその結果子が行きたがったことを私はほんの少しアンラッキーだと思ってた。
しかしむしろ、おかげでちゃんと氷艶を観ることができる幸運な巡り合わせだったんだと。
そして。
これから先も、いつ無駄になるか分からないことを覚悟してチケットを買う、私はそういう時期になったんだなと思った。
子が大きくなって、ようやく夜の公演に出かけられると喜んでいた。しかし今度は別の状況がやってきたわけか。気ままな時間は短かったなあ。
とはいえ、よく考えると2018年に夜公演に出掛けるようになってたから夜遊びももう7年になる。楽しい時間は短く感じられるというやつか。
「推しは推せるときに推せ」。
本当にそうだなと思う。
その一方で「推せないときは推すな」とも強く思う。
退院してきて「やっぱり家が一番落ち着く」としみじみと言っていた父の声を覚えている。
私はエゴイストなので推し活の方をすすめたいのが本音。楽しいし。
でも、私が本当に支えなければいけない存在は高橋大輔ではないことくらいは分かっているのだ。
<追記>
図らずも父の日に父のことを書いたので、スタンプを貼っておこう。
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