UC 緊急入院までの経緯③ 〜大腸ファイバー | 人生ここから、今から…重症筋無力症、潰瘍性大腸炎との生活日記

人生ここから、今から…重症筋無力症、潰瘍性大腸炎との生活日記

voleです*ˊᵕˋ)੭
重症筋無力症と潰瘍性大腸炎の共存生活。
自分で動けないからって諦めずに、頑張ったなって本気で言えるように、生きていきたい!

救急センターのK先生に声をかけられてから、

私の周りは騒がしくなった。






※この辺りから、意識は更に朦朧としていたので、断片的な記憶での経過記録です。


時間も分からなくなっていたし、

順序も正しく伝えているか分かりませんが

残っている記憶をたどります。






私は、難病を2つ抱えています。
2018年に診断された、重症筋無力症と
19歳の時に診断受けた、※潰瘍性大腸炎。
※その後、30歳の時、小腸にも症状が出て、クローン病と診断されました。


――――――――――――――――――



K先生 :
「大腸カメラをすることになります。
その前にいくつか確認させてくださいね。」



「先生・・・」

私から、先に声をかけた。


「   実は・・・

2018年の夏に、重症筋無力症と診断されて、大学病院へ入院した時から、転院先の病院でも、
これまで約3年の間、1度も消化器内科に診てもらったことないのです。」



「えっ!? 3年?
入院してたんだよね?」

小さな声を聞き取ろうと、私の口元に耳を傾けていたK先生が、そのまま声をあげられた。
声が近くて、私は、その声の大きさに、一瞬、頭がシャキッとなった。


----- 大学病院では、症状が落ち着いているから、診なくてよいと、消化器内科に診てもらうことさえ断られたと、聞きました(TT) -----


私が話したことで、
3年前まで診てもらっていた消化器内科の病院と当時の主治医へ電話されて、それまでのことについて確認が行われました。



――――――――――――――――――



K先生
「当時の先生と話しました。
リアルダという薬をずっと処方されていたんだけど、今、飲んでないよね?」


そうそう、リアルダ!飲んでました。
とても大粒だった。
それを4つ、毎日、飲んでました。

でも、重症筋無力症になり、嚥下が難しくなり、リアルダが飲めなくなったため断念されたのでした。





ふと気がつくと、誰かに両手を摩られていた。


声から、訪看主任と移動支援のヘルパーさんだった。


「voleさん、手がとても冷たいですね」

「血圧が、67しかないって」

「えっ、67って言うのは?」

「血圧の上が、67だって」



血圧、低っくいなあ〜

それにしても、めっちゃ寒いよ〜


2人の心配そうな声に、

応えることができなかった。






バタバタバタバタ


また、急ぐ足音が聞こえてきた。

また、先生かな?


足音は、私のいる小部屋を通り過ぎた。



そして、点滴室の看護師さんとの会話が聞こえた。


「voleさんって、輸血の指示きた?」

「いえ、まだ。出てないです。」



えっ? 何?

輸血?


なんだそれは?



後から教えてもらったのですが、

ヘモグロビンの値が5だったそうです。

そして、肝臓に貯められている血液も失ってて、採血しようにも、血が引けない状態だった、と。



※輸血は、免れました。

毎日、増血剤を注射されています







まもなくして、ストレッチャーに移乗し、救急センターへ移動しました。



指や直腸鏡での確認を受けました。

直腸鏡なんて、ウン十年来、受けてない。


直腸鏡から、病状が確認されたようだ。


何にしても、直接、腸へ刺激を受けるため、激しい腹痛。


痛みに、身構える。

やっぱり病気だったと、ホッとした気持ちはすぐに消えた。



――――――――――――――――――



「先生、救急車が来ます」


突如、女性の声がした。

「男性、意識あり。発熱なし。

どうも軽症のようですので、先生の手は取らずに、私が診ますが・・・。ここを・・・」



救急センターは、救急車が最優先。

当たり前か。


私は、また狭い点滴室のベッドへ戻されました。


この病院の救急センターは、患者1名しか受け入れられないの!?、と内心驚いた。






点滴室のベッドへ戻る。



遅れて、K先生の話す声が聞こえてきた。

「大学病院搬送か、入院。大腸ファイバーしてから。」



K先生が、私に声をかける。


この後、大腸カメラをしますね。



voleさん、
今回のこれは、
どこの病院も、消化器内科が全く関わろうとしてこなかったことによるもの。
きつかったね。


――――――――――――――――――


そうだった・・・
忘れ去られていた事実。


大学病院でも、
転院するまで診てもらっていた消化器内科の先生から指示を受けることになり、
リアルダという薬を引き続き服用しようとされたんです。
しかし、重症筋無力症で嚥下が低下して、薬も何もかも、飲めなくなり。

また、検査したところ、飲み込む度に、少量が気管支に流れていることが分かり、肺炎を起こしかねないと、経鼻経管栄養に切り替わりました。


腸の薬は、砕いたり溶かしたりは厳禁なので、
リアルダが通る太いチューブを鼻から通そうと試されました。
しかし、私が太いチューブを飲み込むことが出来ず。
何度も挑戦されましたが、私も限界となり、太いチューブは断念されたのです。


商品名:
リアルダ錠1200mg
 主成分:
メサラジン(Mesalazine)
 剤形:
赤褐色の楕円形の錠剤、長径20.7mm、短径9.7mm、厚さ7.6mm
※web 「くすりしおり」より抜粋



そして、中断されたままで、
リアルダ服用が再開すること、他の薬に替えて服用されることもありませんでした。

代わりにというか、ペンタサ座薬も併用していたので、座薬だけは継続してました。


確かに、どこか早い段階で、消化器内科に診てもらってたら、リアルダは飲めなくても、何らかの薬は再開され、経過も観察してもらっていたことでしょう。

運が悪かった、ということなのか。






夕方、16時をまわっても、検査には呼ばれず、点滴室のベッドで、腹痛、寒さに加えて、硬いベッドのよる体の痛みに耐えながら、待った。


朝から付き添ってくれてる訪看主任さんが、気になった。移動支援のヘルパーさんは、会社へ戻られていました。

私はこのまま病院へ置いて、どうぞ帰ってくださいって言ってみたが、
検査の結果まで説明を受けたいので、残っているんだし、
だいたい僕のことは気にしなくて、ゆっくり休んでいてくださいって。


それでも、検査に呼ばれる気配がなく、
訪看主任さんは、残って付き添えなくて申し訳ないって、帰られた。


今日の日に病院受診できたのは、訪看主任さん、あなたのおかげです。
残っていていただけてるだけで、安心できました。
ほんとに親身に寄り添って、動いていただけた。
唯一、信頼できた。
感謝の思いしか、ありません。





時間は分からないけど、
訪看主任さんが帰ってからも、まだまだ待ってから、大腸ファイバーが始まった。


K先生と、後に主治医となるT先生と、2人の医師によって検査が行われました。

検査は、想像を絶する痛みを伴いました。
重症筋無力症のために、元々使える痛み止めは、ごくごく軽い薬だけ。
強い薬だと呼吸ができなくなる可能性が高いから。


しかし、症状が重い現状では、
軽い痛み止めさえリスクが高いと、痛み止め無しでの大腸ファイバーとなった。


痛みに唸り声が止まらない。
それでも、元々声がでないから、声は響かない。こんな時、便利なんだ〜って、痛みの中で思ってた。

でも、痛みに我慢できずに、体を動かしてしまうので、看護師さんが押さえてくれてた。声をかけながら。


検査室の緊張感が半端なかった。
2人の医師の声は鋭く、時には声を荒らげて声掛け合ってて、どれだけ重く、慎重に行わなければ危険な状態なのかが、ビンビン伝わってきた。

特に、組織採取となった時には、怒鳴り声まで飛び交った。


腸の中は、ひどく荒れに荒れていたらしく、腸壁は薄皮1枚でどうにか保たれてるという感じだったそうです。

だから、ちょっとした刺激でも腸に穴が空く危険があったと。


検査が終わると、
K先生から「よし、このまま入院」と宣言。


しばらく待った後に、病棟から迎えが来て、やっと病室のベッドに横になることができました。




そして、それからが

これまで経験した事の無い壮絶な痛み、苦しみを味わう、恐怖の時間の幕開けでした。