迎えに来てくれた移動支援のヘルパーさんの力を借りて、外出用の車椅子にどうにか移乗させてもらった。
マンションの玄関まで降りると、訪看主任が待っていてくれた。
福祉車両で、病院へ。
車の揺れが、辛い。
シートベルトで、車椅子からは落ちないでいられるけど、座ってるのが苦痛でならない。
受け付けを済ませて、採血室へ。
月曜日ということもあって、順番待ちの人でいっぱいだった。
もちろん、なかなか呼ばれない。
横になって休みたいと伝えてもらった。
「ちょっと待ってくださいね」
それから、待てども待てども、案内されない。
休む場所を確保するまでを「待って」と、言われたかと思ってた。違ったんだ。
気がつくと、訪看主任が体を支えてくれていた。
※訪看主任は、見た目お若い30代後半の男性です。話しやすく聞き上手。
私に関わっていただいてる中で、信頼できる唯一の人。
ようやく名前を呼ばれて、採血室の中へ。
採血、手間取る。
取り終わると、ようやく点滴室のベッドに案内されて、血液検査の結果が出るまで、横になって休ませてもらうこととなった。
初めて入る点滴室。
小さく4つほどの部屋に別れているみたいだった(パッと見た目だから、自信ないけど)。
分けられた部屋の中には、硬い簡易ベッドが2つ。
2つのベッド間は、車椅子がやっと通るほどしか隙間がない。
カーテンで一応、囲まれるようになってる。
マジに狭い。
狭くて硬いけど、それでも今の私には、横になることができる環境が、嬉しかった。
ただ、
訪看主任も、移動支援のヘルパーさんも、点滴室を出て、廊下で待つしかない。
私、1人きり。
いつもなら、1人になってホッとするところだけど、今回は、違った。
昼は、とっくに過ぎていた。
私に気にせず、食事してきて欲しい、
って心で叫んだ。声が届くのならばなあ。
悲しい。
バタバタバタバタ ─
voleさんですか?
突然、走って人がやってきて、大きな声をかけられた。
どうにか瞼をこじ開けてみると、お医者さんが立っていた。
救急センターの、Kと言います。
voleさん、貧血の値がかなり低いので、救急センターに依頼がきて、伺いました。
救急センターで、調べますね。
やっぱり。
異常あったんだ。
検査結果が悪いと聞かされたのに、
すっごくホッとする自分がいました。
やっと、治療してもらえる。
そう思うと、涙が流れてきた。
これまで、2人の医者に、2回ずつ体調不良を訴える機会があった。
大学病院は、1月と3月。
総合病院は、2月と3月。
「とにかく、無理せず安静にしてて」
としか、言われなくて。
大学病院では、3/23に、訪看主任の前で、
「心療内科も受診するようにしていきましょう」
とまで、言われた。
所詮、2人は、脳神経内科のお医者さん。
重症筋無力症という病気のフィルターを通して私を診ると、そう言うしかなかったのかもしれないが・・・
私としては、
大学病院と、総合病院の2人の医者に言われてしまっては、打つ手を失い、策を失い、気力を失い
自分が何か間違っているのか
心を落ち着かせさせすれば、症状が治まるのか
と、我慢して高熱や激痛、下痢下血が落ち着くことを願って、対応していくしかすべが無くなっていた。
↑こんなの描いてたのが、残ってました。
※現在、クローン病の難病を抱えてるのに、なぜ消化器内科に診てもらわなかったのか?
ってことについては、次回書きます。
症状が重くなるにつれ、痛みや苦しみ以上に、
毎度、汚してしまう自分が、恥ずかしくて、情けなくて・・・
どれだけ気をつけても
どれだけ急いでも
トイレまで車椅子で行ってとなると、ほとんど間に合わなかった。
間に合うように動けなかった自分に腹が立ち、掃除をする。
汚した服や下着は、何重にも袋に詰めて、捨てるしかできなかった。
その、繰り返し。
もう、
いっそ、このまま・・・
意識も飛ぶようになって、
可能なような気がしてきた。
両親より早く逝くことはならない!
だから自死は選べないが、
病気でだったら「病気だったからね、しょうがない」って、許してくれるだろう
痛みの、苦しみの先の到着点がいつになるのかと、待つようになってた。
そんな私を、病院へと送り出してくれたのが、訪看主任さん。
彼が、動いてくれなかったら、
今、私は存在しなかったんじゃないかと思います。
また、長くなりました。
感情も高まりすぎたので、落ち着く時間を取りたいと思います。
つづく