UC 緊急入院までの経緯② 〜血液検査 | 人生ここから、今から…重症筋無力症、潰瘍性大腸炎との生活日記

人生ここから、今から…重症筋無力症、潰瘍性大腸炎との生活日記

voleです*ˊᵕˋ)੭
重症筋無力症と潰瘍性大腸炎の共存生活。
自分で動けないからって諦めずに、頑張ったなって本気で言えるように、生きていきたい!

迎えに来てくれた移動支援のヘルパーさんの力を借りて、外出用の車椅子にどうにか移乗させてもらった。

マンションの玄関まで降りると、訪看主任が待っていてくれた。



福祉車両で、病院へ。


車の揺れが、辛い。

シートベルトで、車椅子からは落ちないでいられるけど、座ってるのが苦痛でならない。




受け付けを済ませて、採血室へ。


月曜日ということもあって、順番待ちの人でいっぱいだった。



もちろん、なかなか呼ばれない。


横になって休みたいと伝えてもらった。



「ちょっと待ってくださいね」



それから、待てども待てども、案内されない。




休む場所を確保するまでを「待って」と、言われたかと思ってた。違ったんだ。




気がつくと、訪看主任が体を支えてくれていた。


※訪看主任は、見た目お若い30代後半の男性です。話しやすく聞き上手。

私に関わっていただいてる中で、信頼できる唯一の人。








ようやく名前を呼ばれて、採血室の中へ。

採血、手間取る。



取り終わると、ようやく点滴室のベッドに案内されて、血液検査の結果が出るまで、横になって休ませてもらうこととなった。



初めて入る点滴室。


小さく4つほどの部屋に別れているみたいだった(パッと見た目だから、自信ないけど)。


分けられた部屋の中には、硬い簡易ベッドが2つ。

2つのベッド間は、車椅子がやっと通るほどしか隙間がない。

カーテンで一応、囲まれるようになってる。

マジに狭い。


狭くて硬いけど、それでも今の私には、横になることができる環境が、嬉しかった。



ただ、

訪看主任も、移動支援のヘルパーさんも、点滴室を出て、廊下で待つしかない。


私、1人きり。


いつもなら、1人になってホッとするところだけど、今回は、違った。




昼は、とっくに過ぎていた。

私に気にせず、食事してきて欲しい、

って心で叫んだ。声が届くのならばなあ。

悲しい。








バタバタバタバタ ─


voleさんですか?



突然、走って人がやってきて、大きな声をかけられた。


どうにか瞼をこじ開けてみると、お医者さんが立っていた。




救急センターの、Kと言います。

voleさん、貧血の値がかなり低いので、救急センターに依頼がきて、伺いました。

救急センターで、調べますね。



やっぱり。

異常あったんだ。



検査結果が悪いと聞かされたのに、

すっごくホッとする自分がいました。




やっと、治療してもらえる。



そう思うと、涙が流れてきた。








これまで、2人の医者に、2回ずつ体調不良を訴える機会があった。

大学病院は、1月と3月。

総合病院は、2月と3月。



「とにかく、無理せず安静にしてて」

としか、言われなくて。



大学病院では、3/23に、訪看主任の前で、

「心療内科も受診するようにしていきましょう」

とまで、言われた。



所詮、2人は、脳神経内科のお医者さん。


重症筋無力症という病気のフィルターを通して私を診ると、そう言うしかなかったのかもしれないが・・・



私としては、


大学病院と、総合病院の2人の医者に言われてしまっては、打つ手を失い、策を失い、気力を失い


自分が何か間違っているのか

心を落ち着かせさせすれば、症状が治まるのか


と、我慢して高熱や激痛、下痢下血が落ち着くことを願って、対応していくしかすべが無くなっていた。



↑こんなの描いてたのが、残ってました。



※現在、クローン病の難病を抱えてるのに、なぜ消化器内科に診てもらわなかったのか?

ってことについては、次回書きます。









症状が重くなるにつれ、痛みや苦しみ以上に、


毎度、汚してしまう自分が、恥ずかしくて、情けなくて・・・



どれだけ気をつけても

どれだけ急いでも

トイレまで車椅子で行ってとなると、ほとんど間に合わなかった。



間に合うように動けなかった自分に腹が立ち、掃除をする。

汚した服や下着は、何重にも袋に詰めて、捨てるしかできなかった。



その、繰り返し。




もう、

いっそ、このまま・・・




意識も飛ぶようになって、

可能なような気がしてきた。




両親より早く逝くことはならない!

だから自死は選べないが、


病気でだったら「病気だったからね、しょうがない」って、許してくれるだろう





痛みの、苦しみの先の到着点がいつになるのかと、待つようになってた。








そんな私を、病院へと送り出してくれたのが、訪看主任さん。




彼が、動いてくれなかったら、

今、私は存在しなかったんじゃないかと思います。









また、長くなりました。



感情も高まりすぎたので、落ち着く時間を取りたいと思います。




つづく