2.吉良邸の引っ越し | seko-yaブログ

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へそ曲がりが始めた『学校で教わらなかった日本の歴史』です。
 日本の歴史を、見方を変えて解釈すると、かえって昔の人達が生き生きとして見えてきます。
他に特定地域の歴史等色々な情報をご紹介していこうと思います。

江戸城松の廊下での刃傷沙汰事件の前、吉良上野介の屋敷は、江戸呉服橋付近にありました。(写真の赤〇あたり。)
現在の東京駅の北口の少し先あたりです。
 しかも吉良邸は、北町奉行所の隣だったといわれています。
 しかし、刃傷沙汰事件の後、吉良邸は、墨田川を超えた、本所松坂町へ引っ越しさせられます。(写真の赤̻▢あたり)
 赤穂浪士にしたら、北町奉行所の隣の屋敷には討ち入りにくい。
 江戸幕府としても、北町奉行所の隣の屋敷に討ち入りされたら、治安を守る側として格好がつかない。
 隅田川の向こうなら、ずぅ~と、討ち入りがしやすい。
江戸幕府が、まるで「赤穂浪士さんたち! どうぞ討ち入ってください!」と言わんがばかりに、吉良邸を引っ越しをさせたように見えます。