1.討ち入り前の赤穂浪士16名が潜んでいた場所 | seko-yaブログ

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へそ曲がりが始めた『学校で教わらなかった日本の歴史』です。
 日本の歴史を、見方を変えて解釈すると、かえって昔の人達が生き生きとして見えてきます。
他に特定地域の歴史等色々な情報をご紹介していこうと思います。

江戸時代の地図を見ると、江戸城は下の写真のように、半蔵門が真下に来るように「御城(写真では御丸)」の文字が描かれているというお話をしました。
 だから、東京駅側にある大手門ではなく、半蔵門が江戸城の正門ではないかという話をしました。
 しかも、半蔵門から下に伸びる甲州街道は、江戸時代の5街道の中で、唯一江戸城に直接到達している街道です。
他の東海道等4街道は、江戸の街の中の日本橋が起点です。
 半蔵門から、江戸城外堀にある四谷見附の間は、麹町や番町があり、大名屋敷があり、旗本、密偵等が多く住んでおり、江戸の町の中では、警備が一番厳しい街だったといわれています。
 しかし、忠臣蔵でおなじみの赤穂四十七士の内、16人が吉良邸に討ち入る前に、この半蔵門周辺に潜んでいたという話があります。
 まるで、江戸幕府が、16名の赤穂浪士をかくまっていたかのように見えます。