家康は、1590年江戸への移封以降、順次土木工事に着手します。
『利根川東遷』です!!
利根川の流れを変え、河口を東京湾から、千葉県の銚子に移す工事です。
代々の将軍は家康の遺言を守ったのでしょう、遂に1654年に利根川の水が銚子に向かって流れるようになりました。
最終的な完成は1800年頃と言われています。
1590当時、利根川は渡良瀬川の西を流れ、東京湾に流れこんでいました。(オレンジ色の川が利根川です。)
そのため、利根川反乱による洪水に加え、防衛上の問題がありました。
渡良瀬川と鬼怒川の間は東北地方と地続きであり、東北地方にいた、上杉景勝、伊達政宗らが南下して攻めて来ると、ここ(埼玉県幸手市の関宿(せきやど))を通って房総半島から江戸近郊まで入いって来られると、家康は気づいたのだと思います。
(紫の破線)
防衛強化のため、利根川、渡良瀬川を合流させ、鬼怒川方面に流してやると、上杉、伊達の南下を止められます。(3枚目参照)
家康は江戸を守るため、まず東北方面からの攻撃に対処するこの防衛対策をやりたかったのだと思います。
そして利根川の流れ方を変えられたら、副産物として利根川が引き起こしていた洪水をなくし、農耕に適した乾いた土地の関東平野を拡大し、江戸の食料を供給できる農地を確保できると考えたのではないでしょうか?