江戸城を築いたとき、江戸城の北、東、南は湿地帯で、大阪城同様の難攻不落の城になっていたといわれています。
この湿地帯を作っていたのが、当時東京湾に流れ込んでいた荒川、元荒川、利根川、渡良瀬川の4本の川でした。(小さい川は省略。)
昔の隅田川は、何本の川を集めた川だったのでしょうか!?
そりゃ大雨になれば、溢れるわな!!
一方、関東平野は大きく、ここを農地として活用できれば安定的に食料を確保できます。
江戸城防衛のための湿地帯と、食料(米)生産を可能にする乾いた農耕に適した大地、両方を望むことは矛盾に見えます。
家康は、この矛盾をどう解決したのでしょうか!?