2.何故家康は江戸に幕府を開いたのだろう | seko-yaブログ

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へそ曲がりが始めた『学校で教わらなかった日本の歴史』です。
 日本の歴史を、見方を変えて解釈すると、かえって昔の人達が生き生きとして見えてきます。
他に特定地域の歴史等色々な情報をご紹介していこうと思います。

 ところでなぜ、家康は、『江戸』に幕府を開いたのでしょう!!??
1590年秀吉により江戸移封をされますが、
1600年関ケ原の戦いを制し、1603年征夷大将軍に任ぜられた後も、
1615年大坂夏の陣で豊臣秀頼を自害させた後も、
躊躇なく江戸に戻ります。
何故、岐阜や、三河や、駿府や、甲府や、小田原に幕府の拠点を求めようとしなかったのでしょう!??
 戦国武将たちを制するなら、もう少し京や大阪に近い方がよかっただろうにと思います。
大阪夏の陣(1615年)を制した後に、気になるのはこれ!
  家康の年齢!!
家康は、何歳でいつ亡くなったでしょう?
実は1616年、大坂夏の陣(1615年)の翌年なんです。享年74歳。
昔の人としては、大変な長生きです。
 すでに将軍職は1609年、大坂冬の陣(1614年)よりも前に、2代将軍秀忠に譲っています。
 1615年豊臣秀頼を自害に追い込んだ時、家康には、体力的に見ても、新たな築城や都市整備をする時間はもう残っていなかったのではないでしょうか? 限界だったのかもしれません!??
1590年以降、25年近く開発整備をしていた江戸を、家康は一番安全で将来性もある土地と判断したのではないかと思います。
 でも、何をしていけば、将来性があると判断したのでしょう!! とっても気になります。
(つづく)
ps.江戸城築城当時、江戸城にも天守閣がありました。
1657年の明暦の大火で焼けました。
その後、再建はされませんでした。
「戦さはない!」という意思表示だったのかも??