1.半蔵門が江戸城の正門? | seko-yaブログ

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へそ曲がりが始めた『学校で教わらなかった日本の歴史』です。
 日本の歴史を、見方を変えて解釈すると、かえって昔の人達が生き生きとして見えてきます。
他に特定地域の歴史等色々な情報をご紹介していこうと思います。

雨が続きますね。
最近、また面白い本を読みました。
そこには、江戸城の正門はどこ?と書かれていました。
一般には、東京駅側の大手門が正門と言われていますよね。
 しかしこの面白い本の作者は、「半蔵門」が本当の正門ではないかと言い始めるのです。
 この地図は、江戸時代の江戸城の地図です。
 昔の日本の地図は、北が上とは限っていませんでした。
だから、「御城」という字が正立しているから、この方向が正しいことになります。
ではこの「御城」に向かっていく道と門は?
 甲州街道(新宿通り)が右下からほぼ真っすぐに「御城」の一番下の部分に繋がっています。
そして、そこにある門が、「半蔵門」なんです。
 
 半蔵門に繋がる甲州街道(新宿通り)には、大名や旗本たちの住む麹町、番町があり、
 しかもこの甲州街道は、尾根道であり、江戸に雨が降って洪水になっても、水につかる心配のない道になっています。
 大阪城(元は石山本願寺)が、上町台地の北の端に築城され、北東西の三方が湿地帯で、難攻不落の城でした。
 家康は、江戸城築城に際し、甲州街道の東の端に江戸城を築き(初めに築城したのは太田道灌ですが)、その北、東、南は湿地のこの位置に大阪城に倣って難攻不落の江戸城を築いたのです。
 この半蔵門ですが、なんか変だと思いませんか?
普通、お城の門の前は、橋が架かっています。
敵が来た時には、焼き落とすか、跳ねあげるかするためです。
しかし半蔵門は違います。
半蔵門の前は、土手なんです。
 家康は、絶対に破られないと考えていたのでしょうか?
逆に、正門と思われている大手門と反対側にあり、脱出用門の機能も持っていたのかもしれない半蔵門ですから、ここに橋をかけ敵に壊されたら脱出できないので、土手にしたのかもしれません。
半蔵門から途中の四谷あたりは、大名や旗本たちも住み、密偵たちもたくさんおり、また甲州街道の新宿には鉄砲百人衆を置き、警備体制は完ぺきだったようです。
 前回もお伝えしましたが、半蔵門に続く甲州街道(新宿通り)は尾根道で洪水の心配もなく、徳川家にとっては万一の場合は、脱出する最重要路だったようです。