【111】わたしの美しい庭(凪良ゆう) | 秋風の読書ブログ (ameblo.jp)
※ネタバレがあります。
書きだそうと思って、ずっと心に残っていたシーンを、やっと書き出せた。
P280
みんな当たり前のように、それぞれ不安がある。
うつの俺と同じく、亡くした恋人を想い続けてる桃子さんにも、血のつながらない百音ちゃんを引き取って育てている統理さんにも、同性が愛の対象である路有さんにも、元気いっぱいにスイカ割りに興じている百音ちゃんなど五歳で両親を亡くしていて――――。
「桃子さんといると、なんだかほっとします」
そう言うと、桃子さんがこちらを見た。
「それは、わたしがなにも持ってないからよ」
(省略)
「なにも持ってないのは哀れかもしれないけど、気楽でいい場合もあるのよ」
「なにも持っていない」人を見て、ほっとするの。
うつ病の主人公が。
なかなか人間心理として皮肉が利いているというか。
自分より劣る何かを見て安心するの、本当に良くないな、と思う。
確かに昭和のころの、何でもかんでも順位をつけて競い合う風潮から、
みんながオンリーワン、って感じに変わってきたけれど。
それでも自分になにか『よくないこと』が起きたときに、きっと多くの人が
「自分より『よくない状態』の人がいるから」という慰めで前を向くよね。
『ああはなりたくない』という気持ちを込めて。
『底辺まで落ちたくない』みたいな。
この、誰もが持っているような『後ろめたくていやな感情』が
「なにも持ってない」の一言ですぱっと表されているのが、ずっと心に残ってた。
しかも、主人公はこの瞬間、この言葉に無自覚。
なんなら、誉め言葉として使ったかのような雰囲気すらある。
指摘されて初めて、自分の気持ちの根底にあるものに気付いた。
勝手に仲間意識を持っていた、って。
勝手に哀れんでいた、って。
そして、これが、主人公の気持ちを切り替えるきっかけになる。
P282
桃子さんが髪についているスイカの欠片を取ってくれた。
一緒に種が落ちてきて、昨日から着っぱなしのシャツの胸にぺとりと貼りつく。
はあ……と頼りない息が洩れた。
は、は、と続けて洩れる。
肩を揺らしながら、どうして笑っているのか不思議だった。
俺の両手にはなにもない。
それはもう清々しいほどのからっぽさだ。
このシーン、とても『青春!』って感じがして好き。
もちろん内容は社会問題的でヘビーだけど。
でも、思春期の子供たちの『青春』とあまり変わらない。
それぞれ誰にも言えないような悩みがあって、
ちょっとしたことで落ち込んで、世界の終わりみたいな空気になって。
けれど、やっぱりちょっとしたことで「そんな悪くないじゃん」って前向くの。
大人になって、悩む内容が少し変わるけれど、
やってることと言えば、走っては転んで、また起き上がって、の連続。
悩みも、その時には大層な、生きるか死ぬか、みたいに感じるけれど、
時間が経って振り返れば、『ちょっとしたこと』になってる。
まぁ、人生ってそんなもんよね。
っていう引用でした。
TOP画は以下からお借りしました!!
紫陽花の手花水 - No: 23989777|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK (photo-ac.com)
春だね。
生活が大きく変わった人もいるでしょう。
世界は広がりましたか?
様々な事情を抱えた人たちがこの世界にたくさんいて、
自分には理解できないな、とか
仲良くするのは無理だな、って思う物事や人に出会うかもしれない。
別に、無理に理解しなくてもいいし、仲良くしなくてもいいと思うよ。
それを口にしたり、相手に対して示したりしたら差別だなんだと問題になるけれど。
世界は『わかりあえない』を前提に組みあがっている。
それは『余地』だから、大切にしたほうがいい。