タイトル:ペンギンの憂鬱

著者:アンドレイ・クルコフ

訳者:沼野恭子

発行:新潮社

発行日:2004年9月30日

 

 

 

 

 

あらすじ 

恋人に去られた孤独なヴィクトルは、憂鬱症のペンギンと暮らす売れない小説家。

生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始めたが、そのうちまだ生きている大物政治家や財界人や軍人たちの「追悼記事」をあらかじめ書いておく仕事を頼まれ、やがてその大物たちが次々に死んでいく。

舞台はソ連崩壊後の新生国家ウクライナの首都キエフ。

ヴィクトルの身辺にも不穏な影がちらつく。

そしてペンギンの運命は……。

欧米各国で翻訳され絶大な賞賛と人気を得た、不条理で物語にみちた長編小説。

 

 

 

本作は1996年にロシア語にて『局外者の死』というタイトルで出版され、

数年後に英語・ドイツ語・フランス翻訳が出た後、

元となったロシア語本のタイトルが『氷上のピクニック』に変更された―――と、なかなか変わった経歴を辿った物語だ。

日本版の本書タイトルがどのような経緯で『ペンギンの憂鬱』となったのかはわからないが、

タイトルが定まらない、つまり、奥深く、一言では言い表せない作品である、と言えるだろう……。

事実、深かった。

面白い、という言葉ではあまりに不足する、という方面の一作。

本棚のコレクションがまた増えました。

文庫はなくハードなので、ちょっとスペースの確保が必要だった。

 

 

 

作品の背景になっているのは、ソ連崩壊後の独立したばかりのウクライナ首都キエフ。

マフィアがいて、銃が手元にあり、別荘の庭先には泥棒避けに地雷が仕掛けてある―――。

そんな世界で、主人公ヴィクトルが新聞会社から引き受けた仕事は「追悼記事」の執筆。

ペンギンのミーシャをきっかけに知り合ったり、巻き込まれたりで複雑で運命的な人間関係が構築されていく裏で、じわじわと言い知れぬ不安の影がヴィクトルに忍び寄る。

一体ヴィクトルは何に巻き込まれたのか?

 

予感はあったし、予想もできた。

けれど、最後のヴィクトルの選択が、この作品を名作に仕上げたのは間違いないと思う。

驚きの結末だった。最高だった。

"ペンギン"とはなんだったのか、是非ご自身の目で見届けてほしい。

 

 

 

P18

夜中、不眠に悩むペンギンのペタペタ歩く足音が、浅い眠りを通して聞こえてくる。

ドアはどれも開けっ放しにしてあり、ペンギンは部屋中歩きまわっては、ときどき立ち止まる。

人生にも自分自身にも疲れた老人のように深い溜め息をついているんじゃないか、と思うことがあった。

 

経営不振の動物園から1羽だけ引き取ってきたペンギンのミーシャ。

 

ヴィクトルは孤独だったけれど、ペンギンのミーシャがそこへさらに孤独を持ちこんだので、今では孤独がふたつ補いあって、友情というよりお互いを頼りあう感じになっている。(P4)

 

ヴィクトルにとって、ミーシャは一体なんだったのか。

一人称寄りで語られる本書は、一人称寄りなのにヴィクトルの本音を少しも映し出さない。

かといって、完璧な三人称視点というには、あまり客観的に世界を描いてはいない。

この感覚が、三人称物語なのに不思議な没入感をもたらす理由なのだろう。

 

 

 

 

 

P157

どういう状況をを「正常」と呼ぶかは、時代が変われば違ってくる。

以前は恐ろしいと思われていたことが、今では普通になっている。

つまり、人は余計な心配をしなくていいよう、以前恐ろしいと思ったことも「正常」だと考えて生活をするようになるのだ。

だれにとっても、そう、自分にとっても、大事なのは生き残るということ。

どんなことがあっても生きていくということだ。

 

舞台となったこの時期のウクライナも、きっと今ほどではないにしろ大変だったことがわかる。

 

アメリカで銃を規制しようという動きが高まりつつある昨今、

正直なところ、完全部外者的立場で私はそれに消極的な意見だった。

だって悪いのは、悪い使い方をする使用者のほうで、

人を殺そうと思えばそれが包丁だって、椅子だって、凶器に成り得る。

技術の進歩の足を引っ張るのはいつも『悪事』を考える心の弱い人間だ。

と、思っていたけども。

実際問題、双方『悪事』のつもりはなく、引き金を引くのはそれぞれの掲げる『正義』のためだ。

平等な立場で同じ言語で話し合いする前に、実力行使が乱用されかねない―――

そう考えると、銃規制の主張も、時代に合ったものだろう。

まぁ、3Dプリンターで作れちゃう時代だから、この規制が如何ほどの効果を発揮できるかは怪しいが……。

 

 

 

 

P214

現実問題として、自分の生活を変えることはできないということを自覚していたのだからなおさらである。

荷馬車を曳かされている以上、最後まで綱を引かなければならない。

自分は荷馬車の綱を引いているのだ。

 

自分がなにをさせられているか、確証を得た。

けれども、生活にはお金が必要で、そもそももう引き返せる段階に居ない。

 

ヴィクトルもイライラしたり葛藤したりする描写はあったが、

どちらかといえば、もう全てにおいて半ば諦め。他人にも、自分にも。

必死にポジティブになろうとしているけれど、どこか諦めたような雰囲気が常に付き纏う。

 

 

最後の、ヴィクトルの覚悟。

素晴らしかった。

是非結末を見届けてほしい!

この作品を私に紹介してくれたSNSの友人、ありがとう!

 

 

 

TOP画は以下からお借りして、少し加工させていただきました。

可愛いペンギンをありがとうございます!

コウテイペンギンイラスト - No: 23417823/無料イラストなら「イラストAC」 (ac-illust.com)

 

 

 

 

 

 

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他にもおすすめの本があればコメントで教えてくださいね!

では素敵な読書ライフを!

 

 

 

 

 

追伸:

 

著者クルコフはロシア語で書くウクライナ作家である。

今も昔も複雑な立場であろう。

ウクライナでロシア人の書籍と音楽を、禁止や大制限する法が採択。共感と反発の波紋(今井佐緒里) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

文学は言葉の壁があるにしろ、音楽や絵画、芸術方面は国も人種も関係ない。

最近も本を焼いた、というニュースを見て……。

どうか、どうか戦争が早く終結しますように……。