タイトル:僕は何度でも、きみに初めての恋をする。
著者:沖田円
発行:スターツ出版文庫
発行日:2015年12月28日
1日しか記憶が持たない青年ハナと、両親の不仲に悩む女子高生セイの、
切なく悲しい恋愛ストーリー。
スターツ出版文庫の創刊を飾った本作は、元はケータイ小説のサイトに投稿されていたもののようだ。
セイの一人称で語られる物語は、読みやすく、風景や心理描写はどことなく小説というより、少女漫画を読んできるような、そんな立体感がある。
P24
「綺麗だと思うから憶えておきたい。
だから僕は写真を撮るんだ。綺麗だと思ったものを覚えておくために。
今この瞬間に見たものを、この先もずっとね」
何気ない風景を綺麗だというハナに、セイは「綺麗なものなんて、どこにもないのに」と言葉も漏らす。
両親の不仲から、世界を美しく感じられなくなっていたセイは、ハナと出会ったばかりは刺々しく、自分の気持ちにすら素直になれなくなっていた。
そんなセイとは対称的に、素直に思ったことを口にして、自由に振舞うハナに、次第にセイは変わっていく。
P166
くだらないことばかり考えて、何も見ないで、何も聞かないで、どんどん淀んだわたしの世界が、きみに見つけられたあの日、確かにきみのいる世界と同じにきみのそばでだけ綺麗に見えた。
両親の不仲のせいで、家に居場所のなくなっていたセイにとって、ハナの存在は光だった。
本書の魅力は、ハナとセイの抱える『痛み』や『苦しみ』が、恋愛ではなく、
記憶障害だったり、家族仲だったりに起因する部分だ。
恋愛小説で、恋して、すれ違ったりして『痛い』とか『苦しい』っていうのは、あまりにありきたり。
そうではなく、ハナやセイにはそれぞれにしか理解できない困難があり、その困難に立ち向かうために、お互いを必要としている。
そんな二人の青い恋だからこその、魅力あるストーリーなのだと思う。
セイと両親のやりとりは、読んでいて複雑な気分だった。
自分の家のこともあるから、セイに必要以上に感情移入してしまった。
本当はもっと、この作品を楽しめたはずだし、家族の絆を確かめる場面では、感動すると思うのだけど。
現実は、小説より甘くなかったね・・・
小説のラストでは、私が冒頭に、本書を『切なく悲しい恋愛ストーリー』と言った理由がわかっていただける結末が待ち受ける。
P323
何度だってはじめよう。
きみとの出会いを、この先もずっと。
以前読んだ、博士の愛した数式でも感じたけれど、自分が自分であるために、『記憶』って欠かせない。
朝起きて、鏡を見たら知らない『自分』が映っている。
家族や友人は歳を取り、『知らない人』になっている。
その恐怖はどれほどのものだろう。
自分がもしそうなったとき、記憶がリセットされる度、その恐怖と絶望を感じながら生きられるだろうか。
思い出の写真は、下記からお借りしました!
最近じゃあ、写真ってなかなか現像しないよね。
デジタルデータって、意外と脆いから、大事なものは現像しておいた方がいいよ。