タイトル:博士の愛した数式

著者:小川洋子

発行:新潮文庫

発行日:初版 平成17年(2005年)12月1日

 

 

 

記念すべき第一回本屋大賞の受賞作品。

過去の事故により記憶が80分しか維持できない『博士』と家政婦の『私』、そして『私』の息子『ルート』の物語。

数学と野球を織り交ぜつつ語られていく、家族愛にも似た優しい物語だ。

 

この作品の特筆すべき点は、数字の扱いかもしれない。

 

P86

間違いなく5は中心だった。

前に4つ、後ろに4つの数字を従えていた。

背筋をのばし、誇らしげに腕を空へ突き出し、自分こそが正当な目標であることを主張していた。

 

数字の5をここまで擬人化した表現をするなんて。

他にも友愛数や双子素数に関して『私』は以下のように表現する。

 

P99

(省略)詩の一節から抜け出してきたような恥じらいが感じられる。

イメージが鮮やかに沸き上がり、その中で数字が抱擁を交わしていたり、お揃いの洋服を着て手をつないで立っていたりする。

 

今までの人生で数学とはほとんど無縁だった主人公が、純粋に数字に関して、感じたままを美しく表現していくのは、とても新鮮な感じがした。

P217からの『0』という数字に関する博士の解説は非常に面白いものだったし、子供のころにこんな数学の先生と出会えていたら・・・と思わずにはいられなかった。

 

P217

「(省略)古代ギリシャの数学者たちは皆、何もないのを数える必要などないと考えていたんだ。(省略)」

 

当たり前として確立している数字。

現代社会には、お金も時間も気温も、多くのことが数字で表されている。

冬になれば北の方は当たり前に0℃を下回る気温。マイナス、という概念。

当たり前すぎて考えたこともなかったが、数字を生み出し、それが全世界で共通認識となっているのはすごいことだ。

 

ところで。(また脱線の予感)

遥か昔、中学1年のころ。

初めて「マイナス」という概念を教わったあの瞬間の理不尽な気持ちを、私は忘れていない。

怒りにも似ていた。

「マイナス×マイナスがプラスになる」という仕組み。

小学3年あたりで分数を習った時にも似た感情を抱いた。

どうにも、私にそれを図形として認識できなくて、大いに躓いた。

教師に聞いたが、理解できる回答は得られず、最終的には『そういう仕組みなんだ』と説き伏せられた。

そりゃあ、大人になった今の私が、同じ内容を子供に聞かれてもうまく理解させられるかはわからないけれど。

全く持って理不尽だった。なんだ、『そういう仕組み』って。

博士だったら、どんな回答をしてくれただろうか・・・

きっと、何度でも根気強く、楽しそうに、偉大な数字と数式を敬意をもって解説してくれたに違いない。

 

80分しか記憶が持たない。

朝起きて鏡を見て、事故から何年もたって風貌が変わった自分を見て。

博士は、毎朝、浦島太郎状態の絶望を味わう。

鏡に映るのは記憶の中の『昨日』と一致しない『今日』。

どれほどつらいことか。

そして、これは、これから私たちが患う可能性のある『認知症』でも同じことが言えるのではないか。

 

この物語を、ただの『優しい物語』として片付けることは、博士に寄り添っていない気がする。

もっと、これは、複雑な、感情の入り乱れた、深い物語だ。

 

 

 

TOP画は以下からお借りしました!

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