こんにちは、せいやです。
今回のテーマは「苦しみを楽しもう」です。
悩みの大半はは他人との比較によって生じてる思っています。
そこに人がいるから生じるもので
内面の世界では外側は鏡のようになっています。
例えば、私の家庭は両親は3人の子どもを育てるので
精一杯であまり、不仲な関係でした。
私はそのことが嫌だったのですが、
このときに夫婦=仲良くするのは非常に難しいと思いました。
これは信念になって
世の中を見るときにこの自分特製の特殊眼鏡
「夫婦=仲良くするのは非常に難しい」
と、脳はフィルターをかけて現実つを見て
その眼鏡の効果でおきたできごとをそのまま見れなくなります。
これが内側の世界(=信念)で外側の世界を見たときの視点です。
私は仲の良い家族になりたかったがゆえに
そういう家族を見るといつも悲しい気持ちになっていました。
これが、他人との比較で生まれた苦しみです。
しかし、この苦しみはそもそもなぜ人には必要だったのでしょうか?
死の防衛本能は死への恐怖です。
苦しみとは全く別ものです。
私はさまざまな感情は自分自身を知るための要素であり、
また、自分が積み上げてきたカルマが解決できる時期になり
表面上に現れていると思っています。
今回は前半の話をしています。
苦しみは悲しみや絶望感や虚無感、さまざまな感情と結びつきますが、
この比較によって作られている世界ではもう一方をしる必要があります。
比較の世界とは良し悪しのように比較することができるものです。
苦しみの原因はひとさまざまありますが、
この不快の状態から、本当に求めている快の状態を見つけることができます。
冒頭の家族の話の続きですが、
私は家族全員が好きなので、仲良くしてほしいと思ってました。
しかし、「なんで仲悪いの?」と外側の世界を見るのではなく
「私が本当に望んでるものってそもそもなに?」と
内側の世界を見つめると見つかってきます。
苦しみはこれに気づくことでスッキリして解消されることもあれば
その苦しみの原因に執着しているとと解消されません。
例えば、「不仲な家族はだめ、絶対に仲良くしてほしい」と思うのは
家族に対する執着です。
この場合はもっと深くに求めているものが隠されています。
思考はありとあらゆる手を使って、自分を守るために本当の思いを隠したります。
私の場合、家族はひとりひとりすきですが、
それぞれの人生があるのでそれを応援するだけで十分で
家族に仲良くすることを強いるものではないと思いました。
結果、外側の世界を変える眼鏡は変わって、
今の家族を受け入れるようになりましたし、
コミュニケーションを取りたければ自分から話しかけるだけです。
苦しみは自分自身の本心を見つけるカギなので
避けるのではなく、拒絶するでもなく、
正直な自分の思いを見つけてみてはどうでしょうか?
ここまで、お読みいただきありがとうございました。
みなさまの人生がよりよくなりますように。