南北朝時代「皇統分裂(北朝と南朝)」と足利義満の南北朝の統一、そして天皇家皇統分裂 | 新時代創造者エル(天体創造主)ブログ ~地球人類の最後の審判の主宰者をしています~

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私は人間の姿を取っていますが、人類の文明の終わりの時期に天体意識が直接活動をしている者です。活動の趣旨は思想・宗教に預言されている「最後の審判」(各自の魂を肉体死後に次に人間として再誕生させるかの仕分であり、人類や個人の淘汰の有無の決定をしています。

【南北朝時代「皇統分裂(北朝と南朝)」と足利義満の南北朝の統一、そして天皇家皇統分裂 <歴史・惑星新時代>】

エルです。

日本の歴史に、天皇家が分裂し戦争を伴って
争った事例が幾つかあります。
列挙していきましょう。

①天武天皇とその兄:天智天皇の太子・大友皇子
 が天皇の座を争った「壬申の乱」

天智天皇:創造意識法則が7.5次元弥勒界で活動した。
天武天皇:建設意識法則が7.5次元弥勒界で活動した。
中臣鎌足:7.5次元弥勒如来の存在が7次元意識界に
 生まれたものである。

②保元の乱
1156年(保元元年)7月に起こった「保元の乱」は、
皇位継承問題などの朝廷内の内紛から起こったもので、
後白河天皇と崇徳上皇の分裂に、
源氏と平氏の武力が加わった政変。

後に、平治の乱を経て事実上の平家政権が
誕生します。源平の合戦はこの後です。

③両統迭立~南北朝の動乱
鎌倉時代、天皇家は持明院統、大覚寺統の2系統に別れます。
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両統迭立(りょうとうてつりつ)とは、
一国の世襲君主の家系が2つに分裂し、
それぞれの家系から交互に君主を即位させている
状態である。「迭」は「たがいに」「かわるがわる」の意。
日本では、鎌倉時代に天皇家が2つの家系に分裂し、
治天(実際の政治権限者)と天皇の継承が
両統迭立の状態にあった。
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後嵯峨天皇には2名の皇子がいました。
後深草天皇と亀山天皇です。

後嵯峨天皇はまず皇太子の後深草天皇に
天皇の座を譲り、院政を開始(後嵯峨上皇になった)
その後、後深草天皇に亀山天皇への譲位をさせます。
そして亀山上皇となった子供の皇子を次の皇太子
(後の後宇多天皇)としたのです。

後嵯峨天皇はその後継者として亀山天皇を望んでおり
その後継者の子孫に継承させようとしたのは容易に
推測できますが、後嵯峨上皇はその意図を明確にせずに
文永9年(1272年)に死去しました。

問題が起こるのは当然皇位継承問題なのですが、
簡単にいかない問題がありました。
後鳥羽上承久の乱皇など3上皇の軍隊が北条義時・北条政子率いる
鎌倉幕府と戦って敗れた「承久の乱」以降の
天皇家の皇位継承には鎌倉幕府が介入する様相を呈しており、

その後の皇位継承をどちらにするかは天皇家内部で決められないものでした。
そして鎌倉幕府の下した裁定は、両統鼎立だったのです。

南北朝時代の、北朝と南朝の分裂の発端はこの出来事から
始まります。

後深草天皇 と 亀山天皇 の子孫が交互に天皇位を
継ぐしきたりが生まれるのですが、持明院統の天皇が
二代続き、その後、後宇多天皇の皇子の後醍醐天皇が
即位します。

大覚寺統と持明院統との間で皇位継承をめぐる
対立が続いていた時期に後醍醐天皇は即位したのです。

当然、この裁定を決めている、鎌倉幕府への不満は
大きく、討幕の意思を固めるのはこのままでは
自分の子孫でない、兄の系統が大覚寺統の引き継ぐ
流れであったことと、持明院統と大覚寺統の分裂への
不満があったものです。

そして、後醍醐天皇 や 足利尊氏などの武家勢力が
結びついて鎌倉幕府は倒れます。
「建武の新政」で一新した政治をしようとしますが
上手くいかず、武家の離反を招き、戦争となり
勝利した側の足利尊氏が持明院統の天皇側
(光厳上皇や光明天皇)より、征夷大将軍に任命されます。
敗れた後醍醐天皇側は吉野に下がり、南朝となります。

2つの皇統の分裂が後醍醐政権の崩壊により
再び起こったのです。
その後はしばらく争いが続き、北朝優勢のまま
年月が経ちます。

室町幕府は
初代:足利尊氏
二代:足利義詮
三代:足利義満

と続きますが、

足利尊氏は、お知らせしている通り、時代の転換の
創造の役目の「創造意識」が7.5次元弥勒界で
行動した存在でした。
後醍醐天皇は、王位の初代となる器の
「建設意識」法則が7.5次元弥勒界で生まれた存在です。
尚、後醍醐天皇の皇子の護良親王は破壊法則の
7次元菩薩界での生まれとなっています。

三代の足利義満は、創造意識がやり残した仕事を
終わらせるために、生まれたものであり
本質的な個性体としては、
足利義満は足利尊氏の生まれ変わりと言えるのです。
個性は時代に合わせて当てはめて使いますが
共に創造意識です。違いはその利用格式になります。

足利義満の業績で一番大きいのは
鎌倉時代から続いて、日本の混乱の原因となった
”天皇家の皇位継承問題”を解決したことです。

持明院統(北朝) と
大覚寺統(南朝) のにらみ合いを終わらせたのです。

足利義満は南朝最後の天皇の後亀山天皇に
北朝の後小松天皇への三種の神器引き渡しを
させることに成功。

天皇家は一統に戻り、そしてその貢献者の
足利義満は事実上最高の権力者になったのです。

足利義満の法名の中に、「太上法皇」と言うものが
ありますが、それだけ評価されたことと
権威が天皇を上回るような様相だった将軍です。
8次元如来界の存在ですから自ずとそうなります。

<歴史ミステリー 天皇になろうとした?将軍・足利義満>
歴史ミステリーでは暗殺説があるが病死。
(全12:45)


(スマートフォンより)
https://www.youtube.com/watch?v=0pZOWkS30Ls

足利義満が、京都御所の近くに建てた塔(相国寺の塔)が
近未来にありえる、東京の御所のタワー(塔)になる
かもしれないのです。

日本の天皇家も 平成の時代の天皇が崩御した後は
イメージがこの時代と近く重なってきます。

A:皇太子統(次の天皇) (含む、愛子内親王)
B:秋篠宮統 (含む、悠仁親王)

で勢力が分かれるのです。

鎌倉時代の皇統鼎立はどうでしたか?

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<後嵯峨天皇の子孫の対立>
長男:後深草天皇 (持明院統)
次男:亀山天皇 (大覚寺統)

※後嵯峨天皇は次男の系統に皇位を継がせたかったもの
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<平成天皇の子孫の対立>
長男:皇太子徳仁親王 (皇太子統)
次男:秋篠宮 (秋篠宮統)

※平成天皇は次男の系統と親しい
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重なってくるのですよ。時代の繰り返しシンクロとしてです。

後醍醐天皇は自分の子孫に天皇位が継承されない事が
はっきりして革命を起こしました。
討幕維新の動きを始めたのです。

次の天皇も現在の皇室典範では愛子内親王の
子孫に天皇位は継がせることは出来ず
弟の系統にその皇位を引き継がれるのです。

「両統分裂」がもし起こるようになれば
足利義満役の人物が登場する可能性がある。

京都御所の隣に足利義満が建てた相国寺の七重の塔の
ように、皇居の隣の、東御苑にバビルの塔が
建つことがあるかもしれません。

それがある場合、世界の新時代の扉は開くでしょう。

世界秩序が生まれれば、
・東京に権威の象徴の塔
・エルサレムに平和の神殿 が築かれます。

旧江戸城 東御苑(本丸跡地)に建つのが塔なのです。

「相国寺の塔」
足利義満は8次元如来界(大天使)格式で生まれた
惑星法則の中の創造法則

「安土城の天主閣」
織田信長は7.5次元弥勒如来界格式で生まれた
惑星法則の中の創造法則

「新時代の象徴の塔」
皇居東御苑(旧江戸城本丸跡地)に建つ建築物(ビル)。

混乱した時代の統一事業を行った能力は
足利義満>織田信長 となっています。
共に非人間(人間を超えた法則性=神に値する)の
創造意識法則が人間の姿をまとって
人間に出来ないことを代理で行ったのが
歴史の大舞台になります。

裏の仕事は表の人達が出来ないとか
やりたがらないことをすること。

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上記は、10次元惑星意識の
創造意思を直接投影して表現しています。
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