全日本プロレス武藤社長に思う。 | 新時代創造者エル(天体創造主)ブログ ~地球人類の最後の審判の主宰者をしています~

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私は人間の姿を取っていますが、人類の文明の終わりの時期に天体意識が直接活動をしている者です。活動の趣旨は思想・宗教に預言されている「最後の審判」(各自の魂を肉体死後に次に人間として再誕生させるかの仕分であり、人類や個人の淘汰の有無の決定をしています。

全日本プロレス武藤社長に思う。


ここ10日以内の話でプロレスの試合での事故が
2件あった。
6/4 新日本プロレスの中西学選手の頚椎損傷
及び
5/29 全日本プロレスのスーパー・ヘイト選手
の意識不明の事故。

その一連の責任を取って全日本プロレス武藤社長
が社長を辞めたと知った。

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 全日本プロレスの武藤敬司社長が7日、
都内で会見し、代表取締役社長を辞任する
ことを明らかにした。この日、辞表を提出し、
後任には内田雅之取締役が昇格する。
5・29神戸大会の試合前、控室でTARUに
顔面を殴打されたスーパー・ヘイトが試合後、
急性硬膜下血腫で倒れて開頭手術を受け、
意識が戻らないことへの責任を取ったもので、
取締役にはとどまる。この件ではTARU、
控室にいたKONO、稔、MAZADAの4選手が
無期限出場停止処分を受けている。(デイリースポーツ)
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私はプロレスは比較的好きな方である(あった)。
まず隗より始めよの故事成語にあるように
もう辞めたのだが。

プロレス、高校時代の友人に好きな人が居て
影響されたのもあったかもしれない。
高校時代にすんでいた地区は
テレビ朝日が放送されていなかった地方だったので
新日本プロレスはほとんどTVでは大学生になるまで
見ていない。
たまに全日本プロレスは見たな。
ゴールデンタイムでも放送していたよ、
昔日本テレビ系列で全日本プロレス中継も
長州力が参戦した当時である。1987年ごろ?

実際の観戦は生涯に2度、
大人になって一度、武藤選手をみたかったので
神戸ポートアイランドの試合を見に行ったのと
4年前にプロレスリングノアの日本武道館の
試合に連れて行ってもらったことがある。

プロレスは真剣勝負か八百長かについて
盛り上がるストーリーを作るということで
脚本はあるのかもしれないね。
次代のエースを守り立てるとか
復帰第一線の勝利とか。
華々しいデビュー。
相撲も大関や横綱にしたい力士は
応援しがちだったでしょう。

新日本プロレス 闘魂三銃士
(武藤、蝶野、橋本)の時代
武藤選手の動き(ムーンサルトプレスとか)
が素晴らしく華麗で素敵だった。
橋本選手は試合中の事故では無かったけれど
脳幹出血で40歳前後で亡くなられている。

武藤選手は全日本プロレスに移籍し
社長になり活躍している。

蝶野選手は新日本プロレスを退団し
フリーでプロデューサーもやりながら
ほぼ引退近く試合はほとんどしていない状態のようだ。

プロレスの黎明期
日本人のプロレスラーが外国人相手に叩き合うこを
戦後の日本で喜ばれた。
戦争に負けた悔しさもあっただろう、
娯楽をTVに求めた初期の時代にマッチもしたのだろう。
1959年の当時の皇太子ご夫妻の結婚パレードで
TVがとても普及した時代、人々はTVに憩いを求めた。

力道山の時代は空手チョップが大技、
ジャイアント馬場の初期の時代は
ブレーンバスターが超大技だったのだ。
足4の地固め、スピニングトーホールドもあった。
しかし、技を見慣れるとそれでは物足りなくなり
次第に新たな危険な業が繰り出されてくる。
アントニオ猪木延髄切り、
受身がとりずらい藤波辰巳のドラゴンスープレックス
バックドロップや脳天からマットにたたきつける技。

たしかに現在のプロレス技を見て、昔の技を見ると
物足りなく感じる。。。なぁ~んだ。こんな程度かって。
それは?何故。
簡単なフライングボディーアタックなどでの
試合の終わり方で観客が物足りなくなっているから。

ジャイアント馬場のかわず掛けで一発でカウント3、
そして試合が終わった時代のプロレスはいい時代だったのだ。

現在ではパロディープロレスもあるにはあるが
以前より過激性に慣れてしまった
(観客も求めてしまっている)現実がある。
それに応じてプロレスラーの事件や事故も増えた。

技術が進化したか、そうかもしれない。
でも人間の肉体はカメレオンや昆虫のように
脱皮進化することは
出来ない。おのずと限界がある。
頭、首、膝はそう簡単には強く出来ない。

半身不随になった選手も大勢いる。
リング外へのブランチャー
元プロレスラーで現在の衆議院議員の馳浩さん
も試合中のバックドロップの受身を取り損ねて
意識不明になったことがある。
幸い息を吹き返したが。

1990年頃、全日本プロレスの四天王時代
(三沢、川田、田上、小橋)に
激烈なプロレスがブームになり、
兎に角激しいキック、パンチや
応酬が激しくなって最盛期になり盛り上がった。
新日本プロレスも1995年の
UWFインターナショナルとの対抗戦があった
頃東京ドーム大会があって収益や人気とも
最盛期だっただろう。
アントニオ猪木が参議院議員だったころの話。
過激なプロレスを先導した三沢選手は
丁度2年前に試合中のバックドロップを
受けた時頚椎離断において即死してしまった。
大きなニュースになったので知った人もいると思う。
団体の運営上社長業を続けながら試合をしないと
経営が成り立たなかったこと、
及び日々の練習が少なくなって(選手以外で忙しくて)
受身がとても上手い選手であったが
体の動きが鈍っていたのかもしれない。


プロレスラーの世界、
華々しい世界もあるだろう、
しかし一生相手を叩きのめすことを続けないと
生活が成り立たない職業だとしたら・・・
辞められないのだよ。きっと。

一度始めると。仕事になってしまう。
プロレスラーが一度引退する
しかし前言を翻して復帰することもある。
一つに生計の事があると思う。これは大きい。

プロレス以外の収益が大きい選手は
たとえば奥さんがブランドを立ち上げている
蝶野選手のような人は辞めたければ
選手契約を打ち切ればいい訳だ。
後は自由だし、既に有名人でもあるから。

プロレスブーム及びK-1やPRIDE
の格闘技成長の時代は終わっている。

一つに娯楽の向きが世間で変わったことがある
同時に意識界では人間同士の”殴り合い”、
”蹴りあい”を促進させる文化の崩壊が
起こり始めたということだ。

日本はいくつかのバブルが弾けた、

成長神話の資産バブル崩壊 1980年後半
精神的(今までの支えや価値観の)崩壊 2011年3月

頼るもの 金 で無し、 土地 で無し
頼るもの 物質で無し、人から奪う事無し
自らの光を放ち発展する。

今後は人にすがる事は出来なくなってくるだろう。
助けを求めるのとすがる事は違う。
最小単位での自立心と向上心は必要であろう。

1%の前向きの気持ち無くば、進化発展は望まれぬ。
人生や家庭や現状に引篭もっては先は見えない。

人生や家庭や現状に引篭もりを感じたら
引越しをお勧めするがね。 

引越しが出来る人は自分で一定の道を切り開いていける
立ち上がれる力が今ある人だよ。

人生に於いて、能力ある創造力豊かな存在は
意識界に於いて引き寄せ必要なお金は
必ず先々に用意されてあるものだ。

お金が無いから今は動けないという貴方
それは事前に察知して予測し、それを
貴方が用意してこなかっただけなのである。

何らか活動することだ。
一時立ち止まることも活動することにも入る。

が、引篭もりの状態は活動しているとは
言えるかな?

仕事、家庭、精神活動
引篭もりの状態から脱出しようとしている
人間それぞれ。

(了)



~番外の話~

古代ローマのコロセウムを知っているかい。
最初は緊迫感のある競技会や
闘技会・武道会だったのだよ。
その内、剣を取り、殺し合いに発展し
人はそれを見て喜んだ。

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コロセウム(70~80)は古代ローマ時代の円形闘技場で、
ウェスパシアヌス帝によってたてられた。
多層に重なったアーチ構造がとくに有名である。
かつてネロ帝の巨像(コロスス)が近くにあったために
コロセウムとよばれているが、
正式名称は「フラウィウス朝の円形闘技場」である。
闘技場では、ライオンとキリスト教徒の格闘のほか、
さまざまな見世物がくり広げられた。
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下記ウィキペディアより

食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めた。
これに対して、権力者はキルクス(競馬場)、
アンフィテアトルム(円形闘技場)、
スタディウム(競技場)などを用意し、
毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催する
ことで市民に娯楽を提供した。
こうした娯楽の提供は当時の民衆からは支配者たるものの
当然の責務と考えられるようになった。
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