子供の教育(生と死について) | 須弥山 歳覺寺 のブログ

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易学における八卦は万物生成における陰陽の中に陰陽が生まれ、
天地の四象を形成する。
易家二十四世 易 寿宝 (歳覺寺 住職・高木隆法)

平成27年2月7日(土)
旧暦 12月19日 (赤口)

小学校の社会科授業で、イスラム国での残虐な殺戮の「遺体」を見せるという記事が、最近数件出てきました、このいずれもが、意図的に見せるつもりはなかったと書いています。

授業で真実の有り方を映像で見せるのは小学校では無理であると認識しているようです。

学校側は、授業は報道などの情報について考えるのが目的で、「報道の有り方を考えると共に、命の大切さに目を向けてもらいたかったが、浅はかだった、反省をしている」と言っておりました。市の教育委員会は子供の心のケアと再発防止に努めたいとコメントしております。

小学校でのこれらの授業については賛否両論があると思います、しかし最近の様々な日本での殺人犯罪を考えると教育での過保護による死への認識の感覚が希薄しているように思います、特に若い世代に多いように感じます。

話は違いますが、昭和40年代頃まではお葬式は亡くなられた方の、家かその家族の家で行なわれ、子供達は亡くなられた方が、北向きに寝かされている布団のそばで手を合わせたもので、子供心に、人の死というものはいつも身近にあり亡くなった方への思いが心に残っておりました。

しかしセレモニーホールができて、今ではお葬式のほとんどが会館でするようになりました。子供達は人の死を悲しむというよりもお葬式に集う人の雰囲気しか感じないようになりました、さらに現在は家族葬が多く、死を華やかなものする風潮まであります。

葬式の時に死人に直にふれ、死体は冷たいものである、そして目は再び開かれないという認識を持つことが本当の意味で出来なくなりました。

それら環境が、若い世代に死というものを真に理解されずに、人を殺すことが罪悪であると心で理解できない人が増えてきたのではないかと思います。

学校での行為に対して、教育委員会は子供の心のケアと再発防止に努めたいと有りますが、子供達は年齢が幾つになれば、人の死というものを真に受け入れることが出来るのでしょうか。

人の死は、その年齢で受け取り方が違うのは確かです。

学校は(教育委員会)、子供の心のケアーと言いますが、その映像を見た人のみではなく、全ての子供たちが成人になった時、成人式にお祝いをするのみで、世界へ飛び出して行く厳しさへの大人になる為のホローをしているとは思えません。それが、大人に成りきれない成人が多くいる原因ではないでしょうか。

今、世界で起こっている事を理解して何故 おかしいのかを、目から入る映像は確かに衝撃的ですが、それらが、何が良く、何が悪いのかを深く理解させる事の方がこれからは必要ではないでしょうか、なぜなら世界中から、ネットやYouTube等などを通じて生の映像が見られるからです。

山岡荘八著の徳川家康の小説の中に、小谷城が落城した時に長政の最愛の妻、お市の方に自害を止めさせたのは、秀吉がお市の方に骸(人の死骸)を見せたが故と有ります。(骸は汚いもので,死への考えが変わったのかもしれません)

人は孤高なるものですが、所詮は生き物です、真の教育や徳育なくしてはケモノになってしまうと思っています。

では又楽しくここでお会いできるまで!!!