小さな悟りを求めて -3ページ目

新年1作目

「母との遭遇」、書きました。

また一作、書けました

一時帰国をネタに小説書きました

松山旅日記

☆下記note記事として掲載中の旅日記を抜粋して載せます。

 

 

 

 

2024-08-25(日) 松山、佐田岬へ

昨日は昼過ぎ松山に着き、路面電車に乗ってネットで知り合った旧友と再会。北に松山城、南には愛媛大学、松山大学があり、交通の便もよい立地の集合住宅の一室に泊めてもらう。

夕方は道後温泉で熱めの湯に浸かり、旅の疲れで低めの気分になっていたのが一気に盛り返した。

一晩ぐっすり眠って、今日は車を借り、佐田岬を目指す予定。

 

2024-08-26(月) 八幡浜止まり

昨日、四国の西端に細く突き出した、佐田岬半島を目指した話の顛末。

 

ガッツレンタカーというのが格安で、初めそこの車を借りようと思って予約まではしたのだが、なぜか保険証が見当たらない。ガッツは保険証なしでは貸してくれないとのことで、その時点で一旦車を借りるのは諦めた。

 

そうしたら、泊めてもらってる友だちの部屋のそばで地元のレンタカー屋を見かけて、調べてみると十分安い。これで行こうと思った。

 

人の部屋に泊めてもらっていることと、旅先ゆえの調子の高さも手伝い、朝五時ごろから起き出していた。ありがたく朝飯をいただいて、六時すぎに部屋を出る。まだ市電は走ってませんよと言われたのだが、まあ、その辺をぶらぶらして行きますわ、などと答えて。

 

松山城のお山の裾を巡る道をぶらぶら行くと、やがて左手に二の丸へ登る道があった。

 

天守閣までは登らないまでも、とにかく少し登ろうと二の丸まで行くと、二の丸庭園は有料だが、九時まで開かず、入口の前に立派な石でベンチがあったので、そこでしばらく時間を過ごす。

 

ジョギングの人が時折り通るくらいで、とても静かな場所で、携帯コンロで湯を沸かし紅茶を淹れて飲んだ。心の静まり返り、至福のひとときだった。

 

八時がそろそろ近くなって下界に降りる。近所の地元スーパーに行って昼飯用に出来合いのうどんを買い、そこの休憩所でさらに時間を過ごす。

 

レンタカー屋を開店時間の九時少し前に訪れると、どうも開く気配がない。電話をかけてみるが出ない。しばらくしてもう一度かけると電話は通じたのだが、予約なしの貸し出しはやってないという。残念。

 

仕方がないので、鉄道とバスを乗り継ぎ、佐田岬を目指すことにした。

 

がしかし、路面電車を降りる駅を間違えて、八幡浜へ行く列車に乗り遅れる。次の鈍行は一時間後。これでは八幡浜から先、佐田岬へ行くバスに間に合わない。

 

仕方がないので駅の待合室で時間を過ごし、とにかく八幡浜までは行くことにした。

 

この伊予灘線が最高だった。伊予市を過ぎると瀬戸内海沿いを走り、実に眺めがいい。

 

運転手さんが長い髪をひっつめにした若い爽やかな女性だったのも印象的で。

 

一時間ほどして着いた八幡浜はいい感じにひなびていた。九州へ向かうフェリーの出る港までは少し距離があったので足を伸ばすのはやめて、その道筋の半分ほどのところにある図書館まで行った。

 

和田誠の装丁を集めた大型本が目についてぱらぱらとめくる。自分の生きた時代の一面がその本に書き出されているようで、いま改めて感慨深い。

 

その他は郷土資料の棚から適当に本を選んで拾い読みする。地元出身で敗戦後ソ連に抑留された方の手記が、心に刺さって痛みを残す。

ようよく一本書きました。

北九州は若松におります。

ノートにまたまた書きました

昔の記事の発掘

読書記録「街とその不確かな壁」

村上春樹の「街とその不確かな壁」を読みました。

第一部は、とても納得のゆく「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の語り直し。

第二部(と第三部)は「山間の中年カフカ」的物語。

全体としての印象は、十七歳に心をとどめ続けた老作家が、次の世代に課題を引き継ぐ、というものでした。

春樹ファンが読めば十分楽しめることは、間違いないところです。