良順先生を訪ねた大磯巡りの続き 音符

諸事情により あせる 本日は2本立てとなります お願い

宜しくお願い致します m(__)m

 

旧島崎邸を出て歩きます 走る人

 

この碑は?

読み辛いですが、「大磯八景の一 富士乃暮雪」と書かれていました。

 

碑の近くの「ふじみはし」 音符

昔はこの辺りから富士山が見えたのでしょうかねぇ おねがい

 

到着 音譜

 

 

旧跡 鴫立澤

 

《心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮》
平安末期の歌人・西行法師が大磯あたりの海岸を吟遊して詠んだといわれている歌です。
江戸時代初期の 1664 年に小田原の崇雪という人物が、西行のこの歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの場所に鴫立沢の標石を建てました。
   (大磯町HPより)
 

 

鴫立庵

 

そして石仏の五智如来像(釈迦・阿弥陀・大日・阿しゅく・宝生の五仏)をこの地に運び草庵を結んだのが始まりです。

その後、紀行家と知られ、俳諧師としても有名であった大淀三千風(おおよどみちかぜ)が鴫立庵主第一世として入庵して以来、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場として、現在第二十二世 鍵和田庵主へと続いています。
   (同)

 

 

 

 

西行上人歌碑

 

円位堂

 

 

 

 

法虎堂

 

 

 

説明をして下さった方が、ここの天井に書かれているのは、

その新吉原の遊女の筆、とおっしゃっていたような記憶があります あせる

 

彼女たちの「想い」を込めた文字。

たくさんの悲しみや恋しさや諦めや希望。

そんな感情がよせてくるようで… お願い

 

 

 

長くなりましたので、➁へ m(__)m