きみに読む物語/The Notebook (8点) | 日米映画批評 from Hollywood

きみに読む物語/The Notebook (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2020年4月10日(TV)
主演:ライアン・ゴズリング、レイチェル・マクアダムス
監督:ニック・カサヴェテス

 

 今からもう15年前になるが、アメリカ留学後に現地でヒットしていたラブ・ストーリーが、日本の正月の深夜番組で放送されていたので録画していたものを、コロナウイルスの影響で新番組が始まるはずのところ、特番ばかりでだったので鑑賞。

【一口コメント】
 "刑事コロンボ方式"で描かれる、古き良きアメリカ南部を舞台にした身分違いの恋という王道のど真ん中を行くラブ・ストーリーです。

 

【ストーリー】
 療養施設にある老人がノートに書かれた物語をアルツハイマー型認知症の老女に読み聞かせている・・・。
 1940年代のアメリカ南部・・・材木置き場で働くノアは別荘にやってきた17歳のアリーに一目惚れをする。お祭りの会場で強引にデートに誘ったのをはじめにその後も何度もアタックして、友人の助けもあって一緒に映画を見た後で急接近し、2人は付き合うようになる。
 アリーが初めてノアの家を訪ねた日、ノアの父親は夜にもかかわらず朝食と称してパンケーキを勧める。ノアはアリーを連れて古い屋敷に出かける。そこでいつかこの屋敷を買い取って農場を始めたいとアリーに語り、2人はベッドを共にするが、アリーの両親が警察に依頼して彼女を探していることが判明する。アリーの両親は裕福なため、2人の仲は認められることなく、アリーの大学進学を機に2人は離れ離れに・・・。
 ノアは大学生になったアリーに365日毎日手紙を出したが、アリーの母親が回収し、アリーに届くことはないまま、戦争が始まってしまう・・・。
 そんなことを知る由もないアリーは看護師となり、戦地から重傷で帰国したロンと病院で知り合う。その後、裕福な家庭で育ったロンと付き合いはじめ、しばらくして婚約をする2人。しかし結婚直前のある日、ノアとあの日の屋敷が新聞に掲載されているのを見たアリーは思わずノアの元へと車を走らせる・・・。

【感想】

 ものすごく王道ど真ん中の青春ラブ・ストーリー。自分が10代の頃にこの作品を見ていたら、大恋愛に憧れたのは間違いない。大人になった自分が今見て思うのは現実の世界ではなかなか難しいということ・・・、頭の中ではそう考えるのだが、その反面心の奥底にやはり恋愛は良いものだという一種のノスタルジーも抱く。
 古き良きアメリカ、そして舞台はアメリカ南部ということで身分違いの若者の恋愛を描いた青春ラブ・ストーリー・・・。自分がまだ海外を知らずにハリウッド映画に描かれる"アメリカ"に憧れた、その感情に似ている。それがSF映画であれ、西部劇であれ、史実に基づいたものであれ、アメリカへの憧れはジャンルを問わず、やはりノスタルジーである。例えばSF映画であれば、「
バック・トゥ・ザ・フューチャー」パート1の深海パーティーなんかがその典型だし、最近だと「ラ・ラ・ランド/LA LA LAND」なんかもノスタルジーを感じる作品だ。この作品自体は2005年の作品だが、21世紀に入り20年近く経った今でもこうしたアメリカン・ノスタルジーを描いた作品は数年に1度の割合で出てくるからハリウッド映画はやはり面白い!

 話がそれてしまったが、この作品においてノスタルジーを感じるのは時代設定のみではない。
 大富豪の令嬢と時給40セントで材木置き場で働く男性という身分違いの立場設定も、都会育ちの令嬢と田舎育ちの若者という出身地の設定も、過去と現在が行ったり来たりする時間軸設定も、愛よりも未来の安定を取った母親と未来の安定よりも愛を取った娘という対比設定も、ハリウッド映画ではよくある王道設定であり、どこかで見たことがあるという既視感=ノスタルジーを感じさせる脚本であり、かつそれを狙った演出をしている。
 だからストーリー展開としては簡単に先が読めるし、極端に期待を裏切られるような展開もない。逆に言えば安心感を持ったまま最後まで見られるということでもある。これがサスペンス映画であれば、そんなつまらない映画はないのだが、この作品はラブ・ストーリーである。普通のラブ・ストーリーであれば結論は予測できるものの、最後の最後まで結論がわからないようにして最後まで引っ張るのだが、この作品は冒頭に老人2人が登場し、ノートに書かれた物語を読み始め、過去に戻っていくということで結論は最初からわかっている。例えるなら犯人が最初から誰かはわかっているという意味で古畑任三郎方式をラブ・ストーリーに持ち込んだ形だ・・・ハリウッドなので古畑任三郎ではなく、刑事コロンボ方式の方が適切か?
 そこを1つひねったのがアルツハイマー型認知症という設定。この女性が誰なのか?なんてことは冒頭30分で誰もがわかるはずだし、わかるような演出が施されていて、多くの観客の関心はこの女性が誰なのか?ではなく、いつこの女性が記憶を取り戻すのか?にある。このあたりの設定が非常に上手い。結論は先に見せておきながら、別の関心を与えることで劇的な展開はないものの最後まで引っ張るという手法に1940年代のアメリカ南部という設定が絶妙にマッチする!!

 そして最後、「君に読む物語」の著者がアリーだと明かされる。その瞬間はサラッと流してしまったが、見終わった後に振り返ってみるとこれってこの物語においてかなり重要なシーンだったことに気づく。自分はノアが書いた2人の思い出を読み聞かせているものだと思っていたのだが、実はアリーが書いていたという、それだけっちゃ、それだけなのだが、考え方次第ではノアがアリーに書いた365通の手紙に対するアンサーソングならぬアンサーノートとも言えるわけで、それを認知症を患うアリーがどのタイミングで書いたのか?ということを考えると作品本編では描かれていない2人の別の物語も見えてくる。
 そして最後に過去にも記憶を取り戻してはなくすということをアリーが何度も繰り返していることがわかる。この設定が2人の恋愛の切なさを増幅させるという仕掛けもある。
 2人が望んだハッピーエンドでありながらも切なさが残る本当のエンディングの少し手前にその切なさを増幅させる仕掛けを仕込んでいるこのストーリー展開は本当に素晴らしい!

 そしてアリーの婚約者ロン。このロンをとても良い人として描いているのがまた良い。王道的なストーリー展開であれば婚約者を極悪人として描いておいて、最後に主人公が奪い去っていく・・・的な展開になるのだが、ロンはイケメンでお金持ちで性格も良い。そして何よりアリーをきちんと愛している。そしてアリーもロンを愛している。
 さらにアリーの母親が25年前の駆け落ちの話を娘にすることで、さらにこのロンが際立ってくる。25年前に娘と同じ境遇になり、その際に自分は金のある今の旦那を選んだ。そして時々こうして昔の彼氏を見に来ては「今がどんなに幸せな暮らしかと思う」と言い、泣きながら言葉を続ける・・・「ママはちゃんとパパのことをを愛してる」と・・・。そして隠していたノアからの365通の手紙をアリーに渡し「正しい選択をしてね」と言って、去っていく。この"正しい"がお金を選べ!ではなく、母親自身も胸の奥で愛を選ばなかったことを後悔しているのだとしたら、娘には後悔のない生き方をさせたかったという母親心とも考えられる。
 ここでロンが極悪人であれば、何の迷いもなくノアを選ぶことができるのだが、ロンが良いやつなだけにアリーは迷うのだ。それだけにノアを選ぶアリーの愛の深さをより強く感じることができるようになっている。

 ノアとアリーのやり取りで印象に残っているシーンがある。ロンの間で揺れるアリーに対して言ったノアが言った台詞。
 「俺たちがうまくやるのは難しい。お互い努力しないとやってけない。でも君といられるなら努力する。これから先・・・ずっと・・・毎日君と一緒にいたいから。周りのやつの気持ちは考えるな、俺や奴のことも!親がどう思うかも忘れろ!君はどうしたい?それで決めろ!・・・君がどう生きたいかだ!」
 愛する女性にこの言葉を言えるノア。ものすごく良い男だと、男の自分がそう思う。そしてこの台詞がこの物語の本質でもあると思う。裕福な環境で育ち、進学だけでなく恋愛についても、口出しをされてきたアリー。そして同じような境遇になった母親。その対比構造に自分がどう生きたいか?を迫り、母親とは違う選択をさせるノア。
 王道のストーリー展開ではあるが、こうした台詞に深い意味を持たせているあたりがこの作品に更なる深みを与えてくれる。

 またノアを演じたライアン・ゴズリングは「
ラ・ラ・ランド/LA LA LAND」や「ブレードランナー 2049」でもそうだったのだが、最初の登場シーンではそこまでイケメンという感じではないのだが、物語が進んでいくうちにどんどん色気を感じさせるというなかなかいないタイプの俳優。噛めば噛むほど味が出るタイプとでも呼べば良いのだろうか?

 もちろんいくつか疑問に感じる描写もあった。
 一番は2人の出会いのシーン。観覧車で強引にデートを約束させるノア、それに対してズボンを擦り下げるアリー。とても強烈なキャラ設定を印象付けるのだが、その後の2人の行動力のなさにやや違和感を覚えた。一番わかりやすいのが、365日毎日手紙を書いたのに1度も会いに行かないノア。一方のアリーも離れ離れになった後、一度も手紙が来ないことに対して郵便受けをのぞくこともなければ、自分から手紙を書くこともない。このあたりもう少し上手いこと描写してくれるとより素敵な作品になっていたなぁと思う。

 とはいえ、全体を通して考えれば素敵な作品であることには間違いない。王道過ぎて、かつ先が読めてしまうのでジェットコースター的な浮き沈みはなく、淡々と進んでいくため、一発逆転的なものを望んでいる人が見ると多分ものすごくつまらない作品に見える・・・。
 でもだからこそ、安心して最後まで見られる上に淡々としているからこそ、1つ1つのシーン描写や台詞の裏にある作り手の考えに思いを馳せながら見ることができる。そして結末をわかっているからこその満足感を得られるラブ・ストーリーと言える。