こんにちは。

今回は人類の食に関するお話です。

 

みなさんお肉は好きですか? 

私はもう何年も焼肉を頂いてない気がします。

とは言っても、ハンバーグや牛丼、鶏肉も食べてはいます。

さらには、卵製品やヨーグルトも時々食べるので、

菜食主義者ではまったくありません。

 

世の中には、ビーガンと呼ばれる厳格な菜食主義者がいらっしゃいます。

彼ら彼女らの主張はわからなくはないですが、自分は目指そうとは思いません。

なぜなら、彼ら彼女らの言っていることが人間至上主義であると考えるからです。

 

食用にされる動物が可哀想であるならば、植物は可哀想でないのか? 

家畜に痛みや感情はあるけれど、植物にはないから食べても心が痛まない? 

その辺のところが、人間至上主義だと考えるゆえんなのです。

 

家畜を屠殺すればもちろん血は出るし、瞬間的に苦痛も感じるでしょう。

しかし、植物にも痛みを感じるセンサーがあることが判明しています。

植物は(例外を除き)瞬時に動くことができませんが、

例えばイモムシに葉を食べられると、危機を察知してイモムシが嫌がる物質を

「患部」中心に放出すると言います。まるで痛みを感じているようです。

さらには、その延長線上にある枝葉にも予防的に物質を出すそうです。

 

そして驚いたことに、近隣にある別の種の植物にさえも、その物質は飛び別の植物も

予防的な反応を示すそうなのです。

 

植物には、動物や人間のような口や耳とか言語はないけれども、

植物なりのコミュニケーションが取れていることが近年の研究でわかってきたのです。

爬虫類や哺乳類が誕生するはるか以前から、植物や昆虫たちはそうやって

生存競争を戦って生き延び繁栄してきたのです。

 

その悠久の歴史の中で、ごく最近誕生した人類が、

家畜は可哀想だけれどサラダなら問題ない、と短絡的に考えるのは

奢った発想だと思えるのです。

 

私たち人類も、この地球に住まわせていただいて、

生存競争のシステムに放り込まれてしまった以上は、

何かしらの「いのち」を頂かなくては生き延びられません。

 

それは、動物であっても植物であっても同じようなものだと考えるべきです。

確かに、食用の家畜は環境負荷が高いのは事実です。

だからこそ、食べ残しによる廃棄や地域格差(偏在)をなくしたいと考えます。

 

 

 

教師から受けた理不尽な指導

高校時代の話。

それはそれは理不尽な扱いを受けた。

 

その教師は授業に際して角棒を持ち歩いており、気に食わない生徒には容赦なく制裁を加えた。

その角棒は、たしか50cmほどの長さで3cm四方くらいのものだったのでそれなりに重量もあったはずだ。

 

その教師の名物というのか、陰でよく噂になっていた。

今日は、誰それが叩かれていたとか、昨日は誰だったとか……。

 

当時は、コンプラとかSNSさえなく暴力教師は黙認されていたのだ。

そういう時代に生きた私は、当時のあるとき被害者になった。

 

ある授業中、問題を考える時間の中で、その教師はツカツカと教室内を回る。

私の近くに来たとき、

「なに仏頂面をしてるんだ!」と言って、ゴツン!

そのとき初めて喰らって、想像以上に激痛だったことを覚えている。

また、自分自身が無表情になる際、口元が「へ」の字になることを知っていたので、それを指摘されたのだろう、と思い次回からは「ゴツン」を回避しようと心に決めた。

 

角棒教師の別の日の授業で、私は初めから口角を1〜2mm上げるように努めていた。

前回のように誤解によって痛い目には遭いたくないからに決まっている。

 

結果、どうだったか? 

角棒野郎は、またしても私に鉄槌を下したのだ! 

「なにをニヤニヤしてる!」ゴツン! 

(イッテェ〜、ふざけんなっ!)

 

それ以降の私は、他人の機嫌を考えて行動するようなことはしないと決めた。知らんがな。

自分のありのままでいよう、誰がどのように思おうと俺には関係ない。

そんな心構えを、そのヤクザ教師から学んだのだった。

 

 

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こうして1文字ずつタイピングしている間にも、生成AIは目まぐるしく進歩している。

生成AIが誕生してから、奪われる仕事の種類も増えているだろう。

そうしたことから生成AIを脅威と考える人がいる一方で、

生成AIを味方につけて大きなチャンスと考える人もいる。

 

生成AIはそんなに万能なのだろうか? 

 

私はそうだとは思わない。

一言でまとめれば、生成AIには身体性がないからだ。

 

先日、何10年かぶりに旧友とビデオチャットで話した。

還暦を過ぎた彼は、嫌気がさした仕事を退職して今職業訓練校に通っているという。

庭師になるための勉強・実習らしい。

仕事から遠ざかっている私からすると、なんともたくましい。

後から考えてみると、有望な職種だということに思い至った。

なぜなら、生成AIなどの出る幕がないからだ。

 

生成AIを脅威と考えている人は、思考実験としてこのように考えてみてはいかがだろうか? 

 

つまり、誰か知り合いの中で最も優秀だった人を思い浮かべてみよう。

仮にその人が、なんらかの事故か病気で植物人間になったと。

そうしてさらに、正常に機能している脳だけを取り出して生かされている状態だと考える。

元気だった頃が、どれだけ優秀で万能に思われたとしても、今では脳という臓器だけになってしまった。(なんともSFチックだけれど、単なる思考実験なので。)

 

その脳がいかに優秀であって自分の能力がいかに劣っていたとしても、自分の幸せを噛み締められるだろう。

美味しいものを食べることができ、誰かと飲みにいくこともできる。

体を使ってあらゆる快楽を得ることができるのだ。

しかし、脳だけになった優秀な人はそうしたことができない。

当たり前だ。身体を持たないのだから。

 

生成AIも同じことだ。

正当な指示を与えてやらないと何もできない(今のところ)。

セックスしたり子供を育てたりなどの生物的なこともできない。

だから、人間は生成AIの主人となりツールとして利用することに専念すべきだ。

不必要に恐れるのはちょっと間違っているように感じる。

恐れるべきは、間違った人間が間違った生成AIの使い方をする時である。