株式投資を昔からやってるんですが。
日本株は好調で、日経平均もバブル期最高値を超えそうな勢い。
新NISAにも期待していたけれど、
株価全体が上がっていて安値で買いたいのになかなか買えない。
米株はというと、これまた高いだけでなく円安も拍車をかけている。
特にハイテク株のいくつかを保有していて買い増ししたいと思っているが、
それも叶いそうもない。
こうなりゃ暴落を気長に待って、バーゲンセールに期待するしかないのかな?
株式投資を昔からやってるんですが。
日本株は好調で、日経平均もバブル期最高値を超えそうな勢い。
新NISAにも期待していたけれど、
株価全体が上がっていて安値で買いたいのになかなか買えない。
米株はというと、これまた高いだけでなく円安も拍車をかけている。
特にハイテク株のいくつかを保有していて買い増ししたいと思っているが、
それも叶いそうもない。
こうなりゃ暴落を気長に待って、バーゲンセールに期待するしかないのかな?
統合失調症のみならずさまざまな精神疾患を抱えている皆さまと考えます。
寛解しているかた、よかったですね!!!!
症状が治っているかた、がんばりましたね!!!
症状に苦しんでいるかた、がんばっていますね!!
病気を抱えながら働いているかた、頭が下がります m(_ _)m
みなさん、それぞれにご苦労さまです。これからもがんばりましょう!
病気のためにそれぞれご苦労をされていると思います。
でも、精神疾患の人は人間として何かが欠けているのでしょうか?
たしかに身体障害者は身体の一部(あるいは大部分)の機能(あるいは部位)が欠損している状態の人を指します。
対して、精神障害者は欠損しているわけではありません。
たとえば視力や聴力を失っている方々は、日常生活において大変な思いをされていることと想像しますが、その本来の視力や聴力の代わりに、それを補うようにして別の能力が健常者よりも発達するようです。その能力においては健常者を上回ります。
またたとえば四肢のいずれかが不自由な方々は、義手や義足で補ったり車椅子やカートにより移動を補助します。テクノロジーの支えによって補います。
では、何も欠損していないはずの精神障害者が、日常生活を送りづらいのはどうしてなのでしょうか?
よく言われるように、精神疾患はその人の特徴のひとつだと考えます。
あるいは、パーソナリティだったり性格の一種だと思うのです。
それなのに生きづらいのはなぜなのか? ということです。
考えてみると、社会(あるいは世界)はマジョリティと言われる人たちに合ったようにできているし、組織されているように思います。
今でこそ「多様性」とか「インクルージョン」とか推奨されていますが、もともとは多様性を無視してできた社会だったのです。
ですから、生きづらさを感じている人は、そうした社会からは排除されたり考慮されていないからこそなのだと考えます。
生物学的に見れば、そうした精神疾患にも変化する自然界においては意味があったはずです。
たまたま人工的(人為的)に作られた社会では適応しきれなかっただけのはずなのです。
むかしであれば、神や死者と交信できる人(巫女、シャーマンなど)として生きたりできたのです。現在ならば、幻聴や妄想と判断されるのでしょう。
あるいは、うつ傾向の人は心配しすぎた結果、危機的状況を回避して生き延びてきたのかもしれません。
これらはほんの一例ですが、時と場所が異なればたとえ精神疾患を抱えていても生きていく道があったのです。
価値あるモノ(切手、絵画、スニーカー、トレーディングカード、その他あらゆるモノ)は、関心のない人にとっては単なるモノでしかないのですが、その方面の専門家にしてみれば高価なモノだったり貴重なモノに変わってしまいます。
そうゆうことです。
いまいる場所や組織で生きづらさを抱えているならば、あなたを正当に評価してくれるところに行けばもっと生きやすくなるはずだし、そればかりか輝くことさえあり得ます。
これは決して逃げることではなく、移ること・選ぶことだと思います。
現在の環境に適応しきれなかったために疾患をかかえたのだから、今度は自分のために環境の方を適応させてみてはどうでしょう。
個人的には社会が早く多様性を受け入れるものになってほしいけれど、健常者ひとりひとりの偏見や先入観が変わるかどうかが課題だと思っています。
私の仕事はシステムエンジニア(SE)でした。
過去形なのは、すでに早期退職をしていまは悠々自適?
な生活を送らせていただいているからです。
さて、会社員時代のわたし流仕事術というのを紹介させていただきます。
私は入社後2〜3年目で統合失調症を発症し、たびたび長期の傷病休暇を取っては
復帰するという運命に翻弄されました。
その影響で、いつでも誰にでもスムーズに業務を引き継げるように工夫しました。
社員の中には、自分で担当業務を抱え込み他の誰にもわからないために、
その担当者がいないと困るという状況を敢えて作っている人もいました。
そうすることで、自分の食い扶持を確保しているわけです。
そういう人というのは、業務上の細かいことや紛らわしいことなど
文書に残さず全て頭の中に存在しているものです。
いちいち担当者に聞かないと問題が解決しなかったりするのです。
私の場合はそれとは正反対でした。
いつ、なんどき、休みを取る羽目になっても私自身も引き継ぎ相手(あるいは会社)にも
双方が困らないようにしたわけです。
具体的には、個人に割り当てられたパソコン内、あるいは共用のサーバー内に、
私が担当している業務の内容を構造化して保存しておきました。
これは常識の範囲内ですね。
トップのディレクトリ(フォルダのようなもの)下に、「README.txt」というファイル
を作りそれ以下の階層の内容を、目次的に網羅して説明を加えておきます。
トップのディレクトリ以下の下層ディレクトリには、
これまた「README.txt」ファイルを用意し、そのディレクトリ内の詳しい説明を
書いて、そのディレクトリに格納された一つ一つのファイルの中身を見なくても
概要が掴めるよう工夫しました。
要するに、README .txtという「取扱説明書」の役割を果たすファイルも階層化して
ディレクトリの数だけ複数配置したのです。
実際に誰かに引き継がなくてはならないタイミングがあれば、
引き継ぎ時間は、以上の説明をするだけでだいたいOKでした。
つまり、何日も割かなくても1時間もあれば引き継げました。
会社員である以上は、従業員は「歯車」として完璧に回らないと
全体が回りません。
誰かが、自分一人だけで、一つの業務を抱え込んでいては、
歯車の交換ができなくなるだけでなく、扱いづらい存在になりかねません。
ちなみに、上記の「README.txt」ファイルを作成する際、業務のスキマ時間に
その都度更新していきました。
こうした情報は、個人の所有物ではなく会社の所有物だという意識を忘れてはいけません。