統合失調症のみならずさまざまな精神疾患を抱えている皆さまと考えます。

 

寛解しているかた、よかったですね!!!!  

症状が治っているかた、がんばりましたね!!!  

症状に苦しんでいるかた、がんばっていますね!!  

病気を抱えながら働いているかた、頭が下がります  m(_ _)m  

みなさん、それぞれにご苦労さまです。これからもがんばりましょう!

 

病気のためにそれぞれご苦労をされていると思います。

でも、精神疾患の人は人間として何かが欠けているのでしょうか? 

 

たしかに身体障害者は身体の一部(あるいは大部分)の機能(あるいは部位)が欠損している状態の人を指します。

対して、精神障害者は欠損しているわけではありません。

 

たとえば視力や聴力を失っている方々は、日常生活において大変な思いをされていることと想像しますが、その本来の視力や聴力の代わりに、それを補うようにして別の能力が健常者よりも発達するようです。その能力においては健常者を上回ります。

またたとえば四肢のいずれかが不自由な方々は、義手や義足で補ったり車椅子やカートにより移動を補助します。テクノロジーの支えによって補います。

 

では、何も欠損していないはずの精神障害者が、日常生活を送りづらいのはどうしてなのでしょうか? 

よく言われるように、精神疾患はその人の特徴のひとつだと考えます。

あるいは、パーソナリティだったり性格の一種だと思うのです。

それなのに生きづらいのはなぜなのか? ということです。

 

考えてみると、社会(あるいは世界)はマジョリティと言われる人たちに合ったようにできているし、組織されているように思います。

今でこそ「多様性」とか「インクルージョン」とか推奨されていますが、もともとは多様性を無視してできた社会だったのです。

ですから、生きづらさを感じている人は、そうした社会からは排除されたり考慮されていないからこそなのだと考えます。

 

生物学的に見れば、そうした精神疾患にも変化する自然界においては意味があったはずです。

たまたま人工的(人為的)に作られた社会では適応しきれなかっただけのはずなのです。

 

むかしであれば、神や死者と交信できる人(巫女、シャーマンなど)として生きたりできたのです。現在ならば、幻聴や妄想と判断されるのでしょう。

あるいは、うつ傾向の人は心配しすぎた結果、危機的状況を回避して生き延びてきたのかもしれません。

これらはほんの一例ですが、時と場所が異なればたとえ精神疾患を抱えていても生きていく道があったのです。

 

価値あるモノ(切手、絵画、スニーカー、トレーディングカード、その他あらゆるモノ)は、関心のない人にとっては単なるモノでしかないのですが、その方面の専門家にしてみれば高価なモノだったり貴重なモノに変わってしまいます。

 

そうゆうことです。

いまいる場所や組織で生きづらさを抱えているならば、あなたを正当に評価してくれるところに行けばもっと生きやすくなるはずだし、そればかりか輝くことさえあり得ます。

これは決して逃げることではなく、移ること・選ぶことだと思います。

 

現在の環境に適応しきれなかったために疾患をかかえたのだから、今度は自分のために環境の方を適応させてみてはどうでしょう。

 

個人的には社会が早く多様性を受け入れるものになってほしいけれど、健常者ひとりひとりの偏見や先入観が変わるかどうかが課題だと思っています。