「男性も育児をすると、仕事にも活かせるスキルが磨かれたり、共働きが可能になって世帯収入が増えたり、引いては経済が循環しやすくなって景気がよくなる」とか、育児を経済的な価値観に基づいて評価すればするほど、結果的に「育児は、やったほうが得できるからという理由でやる面倒なもの」という概念や経済至上主義的価値観を人々の無意識にさらに刷り込むことになってしまうという逆説に気付いたほうがいい。と、僕は常々訴えているわけだけど、全く同じ理屈が、昨年秋に発売されたマイケル・サンデルの新著『それをお金で買いますか?』に書かれていて痛快。「教育に市場原理を持ち込むな」というのも同様。

 

まだ読んでる途中だけど、強く共感したところを引用する。

 

・社会生活において市場価値の演じる役割はどんどん大きくなろうとしていた。経済学は王土になりつつあった。こんにち、売買の論理はもはや物的財貨だけに当てはまるものではなく、生活全体を支配するようになっている。そろそろ、こんな生き方がしたいのかどうかを問うべき時がきているのだ。

 

・市場勝利主義の時代は終わったのだ。2008年の金融危機は、リスクを効率的に配分する市場の能力に疑問を投げかけただけではない。市場は道徳から遊離してしまったため、どうにかして両者をふたたび結びつける必要があるという意識を広めもしたのである。

 

・経済学者はよく、市場は自力では動けないし、取引の対象に影響を与えることもないと決めつける。だが、それは間違いだ。市場はその足跡を残す。ときとして、大切にすべき非市場的価値が、市場価値に締め出されてしまうこともあるのだ。

 

・生きていくうえで大切なもののなかには、商品になると腐敗したり堕落したりするものがあるということだ。したがって、市場がふさわしい場所はどこで、一定の距離を保つべき場所はどこかを決めるためには、問題となる善(健康、教育、家庭生活、自然、芸術、市民の義務など)の価値をどう測るべきかを決めなければならない。これらは道徳的・政治的な問題であり、単なる経済問題ではない。

 

・価値あるものがすべて売買の対象になるとすれば、お金を持っていることが世界におけるあらゆる違いをうみだすことになるのだ。この数十年間が貧困家庭や中流家庭にとって厳しい時代だった理由が、これでわかる。貧富の差が拡大しただけではない。あらゆるものが商品となってしまったせいで、お金の重要性が増し、不平等の刺すような痛みがいっそうひどくなったのである。


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<関連ブログ>

・「育児は仕事にも役立つ」は「悪魔の誘惑」

http://fqmagazine.jp/18959/oota7/

 

・AERA大特集「男がつらい!」と「イクメン病」

http://ameblo.jp/toshimasaota/entry-11914999720.html

 

・グローバリズムとバーバリズムの相似形

http://ameblo.jp/toshimasaota/entry-11983118205.html

 

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