枝切街道(11) | としのブログ

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江戸時代初期の古川


JR学研都市線の徳庵駅から北に400m行ったところで、寝屋川、古川、五箇井路、六郷井路の四つの川筋が一つになり、真西に約3km流れている、徳庵井路と言う人工的な水路で、現在は単に寝屋川と呼ばれている、これは1655年(明暦元年)に、当時また存在していた新開池の水捌けを良くする目的で作られました、それまでの川筋は、寝屋川はこの合流場所からJR学研都市線の西側を南西に流れて、楠根川(現在の第二寝屋川)に合流していました、また、古川は現在の寝屋川の北側をくねくね湾曲しながら流れていました。

今編は、その古川の流れ跡を見に行きます。



江戸時代初期の頃の流れを書き入れました、現在とはまったく違う流れですね、古代の河内湖からできた、深野池と新開池の西端がこの徳庵付近だったのです


ところで前々編から、ある水路を「元水路」と名無しで伝えましたが、友人から連絡があり、それは「門真井路」と言う名らしく、鶴見区内では「横堤井路」とも言っているらしい情報をいただきました、友人よありがとうところで面白く無くても「いいね」付けてよムキー爆笑






U01   門真井路は、古川に合流する前はここで右に曲がりながら流れていました


U02    建物と建物の間を縫う様に流れています


U03   一般道とは閉鎖されています


U04  この辺で旧古川の方から合流していました


この車止めがなんか愉快ですね、遊び心満開


U05   勿論、歩行者専用道路です


U06  元 川が流れていた雰囲気がプンプンします


U07  今ではマンションなど建ち、街に溶け込んでいますね


U08   カーブしながら住宅街の裏を抜けて行きます


U09  この先、この様な遊歩道が続き、最後は現在の今里筋の新喜多大橋付近で、寝屋川流れ込んでいました、流石に距離があるのでこれ以上行くのはやめて、また枝切街道に戻ります



U10   戻る途中、現在の古川の堤防を歩いて見ました、無機質な堤防が続きます


U11   ここは川幅少し広くなっています、昔ここには、水門が有りましたが、現在は撤去されていますが、その関連の建物だけが残っています


では、枝切街道に戻ります


つづく