前編から「元 川が流れていた」と表現しているところがあるが調べてみると、この一帯は大東市から門真市にかけて「井路または水路」と呼ばれる川が多く存在する、特に大東市の御領水路は有名で、本来の目的は農業用水や移動目的であったが最近では、観光的に「御領せせらぎ水路保存」として「三枚板」と呼ばれる小舟「田舟」を運行している、その水路が鶴見区の一部にも残っていたが段々道路に転用されている、その元 水路のようだ
K50 古川の右岸の堤防上の細い道を南下します、枝切街道ではあるが府道15号でもあります
K51 少し寂れた地蔵尊があります
K52 この三叉路を左に行くと古川に出ます
葭田橋を渡ると、旧茨田郡安田村に入ります
K53 右手は、茨田北小学校で、この学校の敷地は元は池だったようで、前編から紹介している「元 水路」が流れ込んでいたようだ
K54 屋根をつけてもらい、大切にされている地蔵尊です
古い家が建っていましたが、取り壊し更地になっています、この下道は、元 水路でした
古川の右岸堤防で、かなりの高低差があります
K55 程なく、大阪府道8号(通称大阪生駒線)に出ます
角にはJAがあります、その裏に元 水路の跡がはっきりあるので見に行きます
K56 水は流れていませんが、川の跡に間違いないですね
反対側にも続いています
K57 反対側は遊歩道になっています
K58 街道の定番のお墓があります
K59 ハイツの裏を元 水路が流れていました
K61 ずっと遊歩道として続いている元 水路
振り向くと反対側にも続いています
K62 さあ、枝切街道を行きます
この橋は東山荘橋で、昔から存在していました
東山荘橋から見た、元 水路と古川の合流地点、現在は流れてはいませんが、残っています、しかし江戸時代まではこの付近の古川の流れはまったく違う流れであった、次編で紹介します