伽羅橋駅の駅舎です、開業当時は当然地上駅でしたが、国道26号線(現 府道204号)の踏切が混雑するため1970年(昭和45年)高架されました。
近くには、カステラの銀装さんの羽衣工場があります。
さてさて伽羅橋(きゃらばし)なんて変わった駅名ですね。
駅名の由来は、旧紀州街道の芦田川に架かっていた橋の名前が「伽羅橋」でそこから取ったようですが、この「伽羅橋」は江戸時代からここに木の橋が架かっていて香木の「伽羅」で出来ていたと言われています。
その後、1865年(元治2年)に石橋に架け替えられましたが、その石橋も1988年(昭和63年)役目を終え、堺泉北臨海コンビナートの高砂公園内に移設され余生を過ごしています。
さあ伽羅橋を訪ねて見ました。
臨海コンビナートの中にある高砂公園にあります。
脱線し過ぎなので高師浜線に戻ります。
伽羅橋駅を出て、終着の高師浜駅に向かいます。
駅舎の中の上部にある窓にはステンドグラスが有る、昭和を飛ばして大正の風を感じる。
さてさて、高師浜の由来ですが、元々は堺市の石津川から高石市、泉大津市までの海沿いには松原の浜が続いていました、その浜の事を高師浜と呼んだそうで、元々はこの辺りの豪族の名前だったようです、その高師(たかし)が鈍って高石になったようです。
支線と言えどもこの辺りの大切な足になっており、1日の乗降客数は1500人と意外に多いです。
これで南海高師浜線の旅も終わりです。