頑張れ支線(盲腸線)の旅⑹JR羽衣線 | としのブログ

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過去のライバルが兄弟になり、再びライバルに

大阪の「梅田を北」「難波を南」と表現する事が多いが、東京の山手線にあたる大阪環状線の南のターミナル駅は難波ではなく天王寺駅です、その天王寺駅から和歌山までの路線はJR西日本の阪和線、その阪和線は、元々阪和電気鉄道と言う私鉄でした。

当時(昭和初期)は、大阪から堺市や和歌山に行くのは南海鉄道(のちの南海電気鉄道)が独占していて、それに対抗するため京阪電気鉄道や大阪商船が出資し、阪和電気鉄道を設立する。

その阪和電気鉄道の起点の天王寺駅は、当時、国有化された関西本線や城東線(今の大阪環状線の東側)が営業しており、南には2代目の大阪鉄道(今の近鉄南大阪線)がすでに阿部野橋駅を構えていました、また、国鉄天王寺駅の北側は、南大阪電気鉄道と言う会社が土地を所有しており、阪和電気鉄道が入る余地は無かったのですが、大阪鉄道(大鉄)が、南大阪電気鉄道を買収、要らなくなった北側の土地を阪和電気鉄道が購入し、1929年(昭和4年)阪和天王寺駅が誕生して、阪和鉄道が開通する、南の和歌山方面に向かう阪和線のホームが天王寺駅の一番北側に有るのはこんな経緯があったからです。

僕は奈良の出身なので、現在住んでいる京阪沿線から帰郷する時、よく天王寺駅を利用しましたが、阪和線の天王寺駅と環状線の天王寺駅が違うホームで、阪和線は頭端式の行き止まりホームで雰囲気も全く違うことで不思議に思っていましたが、国鉄と別会社だったなら納得ですね。

阪和鉄道の誕生は、南海鉄道に対抗するためで最初から直流1500Vでスタートする、一方の南海鉄道は直流600V、19m級の大型車両を高出力モーターで高速運転させ、当時狭軌ながら「日本一速い鉄道」と言われたようで、それは出資した、京阪電気鉄道が手掛けた新京阪鉄道(現在の阪急京都線)のP-6形(デイ100形)と同等の性能だたらしく、やはり京阪電気鉄道の影響を受けていたようです。

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さてさて、今回旅する鳳から東羽衣間は、そんな南海鉄道にライバル心を燃やしている阪和鉄道が浜寺海岸の海水浴客を呼ぶ為、本線の開業と同時に、鳳駅から阪和浜寺駅(現 東羽衣駅)間1.7kmを開業しました。
  当時、阪和浜寺駅で下車して海水浴場に行くためには、南海鉄道の踏み切りを渡らなくてはならない為、南海が意地悪をして、開かずの踏み切りにしたと言う話しも残っています。

そんな阪和鉄道は、1940年(昭和15年)ライバルであった南海鉄道に合併吸収され南海山手線になり、ライバルが兄弟になるのである。

ただ兄弟関係も4年しか続かず、1944年(昭和19年)に、南海山手線は戦時買収私鉄の指定で国有化され、国鉄阪和線になります。
同じく南海鉄道は、関西急行電鉄と合併し近畿日本鉄道になり、阪和鉄道とはまたまたライバル関係になる。

その近鉄は、1947年(昭和22年)現在の南海高野線の前身の高野山電気鉄道が社名を変更した南海電気鉄道に、南海鉄道の路線を譲渡し現在の南海電気鉄道が誕生する。

では歴史の授業はこの辺で、阪和線の鳳駅に行ってみます。
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鳳駅東口である、線路は地上にあるが、改札や駅機能が跨線橋にある「橋上駅」である、橋上は自由通路である為、駅で分断される事なく、どちら側からでも乗り降りができる。


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2番線から225系紀州路快速が、意外に控え目なVVVFインバータ音を響かせて出ていきます。


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橋上から見たホームです、真下が羽衣支線用の5番線で、基本ここて折り返すので天王寺駅方面は錆びてますね、その向こうが上りの4、3番線、そして下りの2、1番線です。


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西口です、メインは東口のようで、西口はガランとしてます。


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改札の中に入るとまず目に入ったのは、D51のモニュメントです。

やまぐちデスティネーションキャンペーンだそうで、山口県観光連盟のホームページを調べると「山口県の多彩な魅力を観光客の方々に存分に堪能していただくため、観光資源の磨き上げを進めています。」だそうです。


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羽衣線の乗り場は5番線です。


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おっと、103系や。
大阪環状線のオレンジの103系は引退したけど、まだまだ頑張ってるなんて感動やなあ。


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出発まで時間があるのでホームを探検。
5番線の西側には、以前にあった6番線の跡が残っています。


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ここまで複線跡が残っているのも珍しいですねー。


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ワンマン化された3両編成の東羽衣側の先頭車です。
クハとは、運転台は有るがモーターはついて無いと言う事ですね。

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中間車です。
運転台は無いが、モーターが付いている車両ですね。


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鳳駅方面の先頭車は、クモハつまり、運転台もモーターも付いている車両ですね、あっ、知ってるて爆笑爆笑


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103系の室内です、どこか懐かしいレイアウトで、両開き4枚の扉でロングシートで、東京は山手線、大阪は環状線で永きに渡り多くの通勤通学の人を運んだ「国鉄の名車」ですね。


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窓が非ユニットサッシと呼ばれるタイプで、外から見ると窓の四隅が丸くなっていて、最初から窓が組み込まれています、それに対して後で窓を組み込むタイプをユニットサッシと言います。

特にこの羽衣線は、HL102編成と言うマニアの中では有名ですが、残念ながら来年の夏に引退するらしいです、うーん残念えーんえーん


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うーん、扇風機や笑い泣き懐かしいラブおねがい

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さあ出発です、運転台のメーターです、103系の規定最高速度は95km/hだそうです、実にシンプルなメーターですね。


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鳳駅を出ると大きく右カーブしながらしばらくは地上を走ります。

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少しずつ高くなって行きます、元々は複線で地上を走っていましたが、1944年(昭和19年)に単線に、1974年(昭和49年)に高架線になりました。


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高架された時はすでに単線だったので、単線分の高架です、
直前の橋は国道26号の橋です。




さあ、約3分の短い旅ですが、ゆっくり味わった旅でした。

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到着すると直ぐに運転手が反対側に乗りこみます、約4分後には折り返します。


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もちろん自動改札で駅長も居る直営駅である。


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南海電車の羽衣駅の高架工事の為か、なにやら東羽衣駅も工事しています。


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話の中に出てきた南海電車の踏み切りです、しかしまもなく高架化されて消えますね、この先に浜寺海岸が有りました。



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1日の乗車客数が5,100人と今まで紹介した支線の中で一番客数が多い東羽衣側の駅舎です、決して「盲腸線」では無いですね。

短いながら、来年には4両化されて103系に代わる電車が走るのでまた来ます。


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最後に足を伸ばして南海本線の浜寺公園駅の旧駅舎を観てきました、保存する為少しだけ移動する準備がされていました。

終わり