坂東の入口 東山道「坂本宿」 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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中山道は、江戸時代よりも古い時代(平安時代より)は、「東山道」でした。

それは、「京都」(=平安京)が、主権で有った時代。。。

まず、「蝦夷地」(未開拓、未知(「道」の地)は、古東海道「足柄峠」、古北陸道「鼠が関」、


そして、ここ、碓井関所が、「東」の「蝦夷地」からの関所でした。



昔も、今も、関所、、、現代で言えば、「空港」や「埠頭」などには、「日本国に着く人」と「日本から離れる人」の「通関」の時間が取られるために、、、

一般的に、周りに、「関所」の「通関手続き」の時間などが掛るために、、、

「宿場町」が出来る。

今回は、「坂本宿」は、中仙道「碓井関所」の「通関待ち」のための宿場街であることを、感じてしまいました。

因みに、、、「信濃国側」は、「軽井沢宿」になります。

この関係は、例えば、東海道だと、箱根の関所のために、「箱根宿」と「三島宿」の関係になってきます。



今回、歩いて見て、中仙道「坂本宿」は、

写真のように、古い建物が多く残されており、「観光地化」もされていないために、「江戸時代」当時の雰囲気を、大いに感じさせてもらいました。

と言う事は、、、、

この「坂本宿」の周辺では、

「被害地震」が無かった事を、かなり、強く感じました。

私自身の「地震予知」である「耳鳴り」も、群馬県内では、「静まっていた」ことも、一つ、安心感に感じてしまいました。






ちなみに、横軽間の碓氷峠越えの「JRバス」は、土日のみ、二本だけ、こちらの「坂本宿経由」になります。



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