いやぁあ、、、「常陽銀行」の前に、あの男の住処があるとは、、、、
私ですらも、未だ、信じていない。
常陽銀行の前に、その男は、立っていた。
私でも、その男は、今でも、「赤穂藩」の「大ヒーロー」、、、、、
赤穂藩ってのは、「兵庫県」だよね~、、、、
え、、、と思って調べてみたら、、、
同年、代わって常陸国笠間藩より浅野長直が5万3000石で入部した。
国替えは、笠間城を無断修復した事をとがめられたためとする説がある。
実際、浅野家が建てた藩庁を含む広大な笠間城の屋敷は取り壊されている。
吉良上野介に殺された「浅野内匠頭」と言えば、、、、
「赤穂」(=兵庫県赤穂市)じゃないの???
江戸中期の名事件「忠臣蔵」
その赤穂浪士の長「大石内蔵助」が、「常陸国笠間」(茨城県)に、立っていたのです!!!
調べてみても、まだ、分からん、、、(*'▽')
「赤穂藩士の討ち入り」と言う「大名目」である、、、
「忠臣蔵」の「大石内蔵助」
が、、、「赤穂」では無く、「常陸国」「笠間」に建っていようとは!
もう一度、冷静沈着に調べてみた、
そうすると、
どうも、茨城県笠間藩の「大石家」に使えていた、「浅野家」
その「大石家」が、笠間に、江戸幕府のオキテに従わずに、「大きい城」を立ててしまった、、、、
そのために、「赤穂藩」と言う山陽・赤穂に移されてしまった、、、
当然、浅野家に仕えてきた「大石家」も、山陽・赤穂に移り、忠臣として、「浅野家」に仕えてきたのだが、、、、
「浅野内匠頭」が「江戸幕府 旗本・吉良義則」を刺殺したことで、浅野家は、「改易」となり、居場所を失った配下の「大石内蔵助」が、「吉良上野介」を打ち入ると言う「忠臣蔵」を起こす。。。。
うむ、書いていても、思う。。。。。
ちょっと、遠すぎやしませんか???
「大石内蔵助」と「茨城県 笠間市」、、、(*'▽')
まぁ、「浅野家」と「大石家」の出身地と考えてみれば、何となく分かるが、、、
「大石邸跡」ってのは、一体全体、「いつまで」の「邸宅」で在ったんでしょうか?????
忠臣蔵の時点でも、もう「赤穂藩」であったのに、、、
この茨城県笠間市の 「大石邸跡」を見て、いやぁ、「忠臣蔵」の強さを、大いに感じてしまいました。
「赤穂藩」と言う「播磨国」(兵庫県)と言う「江戸から遠く離れた地の人々」が作った「物語」
のために、そのヒーローの「生まれ故郷」まで、「史跡化」してしまっていたのは、超、衝撃でした、、、(*'▽')
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