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風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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ここから、北は、かつての「蝦夷地」であった。

白河の関

関所自体の建物などは、もう残っておらず、現在は、、、









白河神社

となっている。









現在も関所跡の発掘調査は、行われているそうで、様々なモノが見つかっているそうです。

この「白河の関」で、「奥州街道」=「陸羽街道」は、「幕府」管轄の「街道」から、「藩」管轄の街道になり、今で言えば、この関所から北側が、「日本国道」では無く、それぞれの県が管理する「県道」へ変わるような感じだったそうだ。



ふと思うに、東北地方とは、「田舎」な印象が拭えないが、、、

その理由は、江戸時代以前から、この白河の関 以北が、「蝦夷地」と言う認識で見られていたからなのかもしれない、、、、(*'▽')

「蝦夷」と言うと、「北海道」を思い出す方も多いかもしれないのだが、、、
「平安時代」から、京都から遠い「関東」よりも北側の「東北地域」は、「アイヌ民族」も暮らすような本当に「京都」の人々からすると、得体のしれない「外国」であったようだ。

その「蝦夷地」からの「侵略」に備えて、この「白河の関」を設けたそうです。

この白河の関が、福島県と栃木県の境では、有りませんが、、、

ここから、南に、2kmほど行った先に「境の神」と、「福島県」と「栃木県」の境がありました。

それは、後ほど。



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