伊豆本島 西岸に達してみて、、、 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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伊豆本島西岸に達してみて、我が仮説である、「伊豆半島 は 島だった」の意識が断然に、高まってしまいました。

伊豆 西岸 三津浜


何と申しましょうか、

伊豆諸島の島々の表口の雰囲気と、あまりにも似ており、、、

ここが、「本州」だという、意識を薄れさせてしまいました、、、

そして、ここは、「駿河湾」、、、、


と言う事は、ここ、75年弱、ず~っと、ず~っと、
とある地震が、「明日、起きる」って、言われておりました。。。


そのために、なんとまぁ、コンビニ 「セブンイレブン」まで、、、




砂浜前のセブンイレブンまで、、、、
「非常時 救命艇」を、店前に設置しておりました、、、(*'▽')


東日本大震災以前、いくら、海岸地帯と言っても、「救命艇」を店前においておく「コンビニ」は、初めて、出会った気がします。


昭和時代、常々、語られた「駿河湾」の「東海地震」

今回、改めて、調べてみると、
「相模湾」で「1923年」(大正12年)に発生した「関東大震災」
「名古屋沖」で「1944年」(昭和19年)に発生した「東南海地震」

の連動として、戦後から、「今」まで、「東海地震」(駿河湾地震)が起きると思われていた、、、、


実の所、私も、そう思っていたし、、、

また、「関東大震災」で、「伊豆半島」の至る所で「大被害」が発生し、
「韮山反射炉」も、基本的には、「大正関東大震災」で、跡形もなく、崩れ去った歴史があるモノと、思っていました。

今回、韮山反射炉や、伊豆半島「西岸」を歩いて見て、、、

意外と、「古いモノ」が残っていることに、意外性を感じ取ってしまいました。


要は、「大正関東大震災」、「昭和東南海地震」において、この伊豆半島 西岸域は、被害がかなり、少なく済んだことを、知らされました。

その戦中、戦後の「東南海地震」「南海地震」(昭和21年)を考慮すると、
「東海地震」(駿河湾沖)が「昭和年間」において発生すると、常々、言われておりましたが、、、、

昭和が終わって、早36年、、、、(*'▽')

次のサイクルの年代に達していると言う事を、考慮し始めるべきなのでしょうね、、、

なんせ、江戸時代の「安政年間」には、「安政東海地震」(1854年)が発生しておりますので、、、






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