至って、日本の常識的な「温泉街」でしかない、、、世界遺産 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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世界遺産 直近バス停「温泉駅」















まさに、日本人にとって、「温泉街」と言えば、こんな風景ですね~


と言う風景が、広がる「韮山温泉街」


何と申しましょうか、、、

「世界遺産」と言う言葉が、私のような「東京人」を含めて、
「関東人」と共に「世界人」も、、、、

ここに、「世界遺産」と言う「世界に名だたる「モノ」が存在しているなど、

想像できない地であった、、、(*'▽')



今まで撮ってきた写真を「PhotoLibrary」にも掲載しています。良かったら、見に来てください!!

(サイズの大きい写真も掲載しています。必要であれば、PhotoLibraryにてダウンロードしてください。)

https://www.photolibrary.jp/profile/artist_13428_1.html




あくまで私見なるも、、、

江戸時代末期に、黒船来航で、

開港した。
その一つが、「下田港」

下田への道は、「三島」から、修善寺、「天城」、、、





明治以前の開港地「下田」へ


ここで、「天城」を越える。。。。


この歌「天城越え」も、実は、江戸時代の江戸から一番近い「開港地」であり、温泉地と言う「金持ち」への「夢」を抱いた、、、、、

「女性たち」の物語の地なのかもしれない、、、


まぁ、その後の明治維新後に、、、
「横浜」が開港してしまい、、、

下田の地位は、、、、、
地方の温泉街へと、川って言ってしまった、、、



今回は、下田港までは、達しなかったものの、、、

ここ、「下田」と言う地に「開港地」にした理由は、、、

この山に覆われた「伊豆半島」に由来すると、大いに感じてしまいました。



そして、ふと思うに、「天城越え」と言う存在が、、、
「東海道」「箱根峠」を避ける「遊女」たちが、その南の「天城峠」を越えて、
「関東」にやってきていた現実と、共に、熱海や、伊東などの「伊豆東岸」一帯の「温泉街」が、その後の「昭和高度成長期」における「社員旅行」のメッカになったのかも、、、、


この理由の可能性を感じながら、歩いてしまいました。



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