やはり、そこは、「武都」だった、、、 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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1867年 大政奉還


天皇が、「東京遷都」と伴って、「現皇居」へ










皇居に来ると、やはり、「東京」=「武都」だと感じてしまうんです。


「東京」が「江戸」であった時代の、「天皇陛下」のお住い「京都御所は、「堀」も無く、「塀」のみで、あの天皇の現世神の世界と、今が、「壁一重」であったようだ、、、

でも、「江戸城」であった「東京皇居」は、「江戸城」の名残である、「二重掘」、「二重橋」

この構造は、まさに、日本全国にある「お城」の跡に重なる。


どうしても、二重橋を眺めたりすると、「天皇制 2000年」の歴史を感じる方も多いかと思うのですが、、、

なんとまぁ、この二重橋の内宮側の橋は、1614年に徳川家が、ここに建てたそうだ。


余りにも、「戦中」や「終戦」の印象が強い「二重橋」なのだが、、、

調べてみたら、「江戸城」時代は、「木橋」が掛かっていたそうなのだが、40mほどの堀を越える「橋」が無く、「江戸城」開設時から、かなり、新しい技術を持って、支えられていたそうです。

考えてみると、「京都御所」も「奈良御所」も、「堀」が無いんですよね、、、


「徳川家」と言う「武家」の「お城」で無かれば、東「京都」・「皇居」は、塀だけで、一般空間と隔てられた「天皇空間」であったのかもしれないと感じました。

実は、「東京遷都」で、「御所」の守りは、かなり、楽になった気がしてきました。

そして、どう思うかは、別にして、、、

天皇陛下は、「京都」に比べて、断然、安全になり、安心感を得られたんじゃないかなぁ~
って、感じてしまいました。

例えばですが、、、「昭和」の「2・26事件」において、堀が無く、「塀」だけであったなら、、、、

あの陸軍 青年団は、「天皇陛下」の面前に居ることが出来たのかもしれないと感じてしまいました、、、




でも、令和の時代に、発展の野望を見失っていっていく、「今」を見ていくと、、、

「次の時代」の存在を、思う、、、





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