特急も止まる、街道筋の町、、、でも、、、 | 風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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その町は、特急も止まり、そして、私鉄である「野田線」の乗換駅であり、駅前には、そごう!

水戸街道の中では、かなり、レベルの高い街。






駅前のデパート、ビックカメラ、そして、人混みを見た時、ここが、「水戸街道」の一大「宿場町」であったのだろうと考えた。

なんせ、あの「しょうゆ」の野田からも一番、近いのだし、、、







水戸街道・柏宿


と思って、駅の観光案内所で、水戸街道の「宿場町の本陣」って、ありますか???

って、聞いたら、、、

「柏には、水戸街道が走っているのですが、、、すいませんが、宿場町では、無かったんです。。。」

え、、、(*'▽')


常磐線の快速も止まるし、特急も止まっていましたよね、、、

そして、なによりも、「野田市」からの「東武野田線」も走っていますよね、、、




駅前には、旧街道的な「アーケード商店街」もあったんですよ〜

だから、本陣もあるでしょうよ〜
と、思って、まずは、街中を歩き回ったんです。

あの「春日部」ですら、「日光街道」の宿場町であるのだから、、、

でも、無いんです。。。痕跡も。


Wikipedia「柏市」

江戸時代には水戸街道の宿場町である  「小金宿と我孫子宿の中間に位置する小さな集落」 であった。

1896年の常磐線柏駅開業により柏の発展が始まった。ただし本格的な住宅地開発が始まるのは常磐線が電化された戦後からである。大正時代の北総鉄道(現在の東武野田線〈アーバンパークライン〉)開通により柏駅は交通の結節点となった。

1960年代より東京のベッドタウンとして開発が進み、多くの森や農地が大規模な団地などへと転用され、人口は急激に増加した。

乗降客数の増加に対応するため、国鉄は通勤五方面作戦にて常磐線の複々線化を行った。
柏駅は70年代に日本初のペデストリアンデッキが建設されたことで知られ、そごう、髙島屋、丸井などの百貨店をはじめ多くの商業施設が進出し、遠く茨城県、埼玉県からも買い物客を集めた。1980年代以降は柏駅周辺に若者向けの商業施設が次々と開店し、千葉県の商都船橋市と並ぶ東葛地域(旧:東葛飾郡北部)随一の商業拠点となった。

JR柏駅の乗降客数は、つくばエクスプレスが開業するまで千葉県内で第1位であった。商圏人口は約237万人。




なんとまぁ、、、多摩センター並みの新興都市であるとは、、、驚かされました。

東武野田線が走っている以上、大昔から、野田の「醤油」を、東京や、日本全国に輸送するために、「水戸街道」との結節点で、江戸時代から続く「キッコーマン」もあるのだから〜
(野田の醤油は、「利根川水運」で運ばれており、水戸街道とはそんなに縁は無かったようです)

と思って、何度も、観光案内所の方に聞き返してしまいました。。。 
(すいませんでした、、、)

いやぁ、ここだけは、想像以上にびっくりした。

今や、本当に、常磐線の中でも、そうとうレベルの高い快速駅だと言うのに、、、

街道駅が無く、「野原」だったことは、驚き以上のものが有りました、、、(*'▽')

ちなみに、「小金宿」と言うのは、常磐線各駅停車の「北小金駅」の周辺を言いまして、「松戸市」になります。
そして、反対側の「我孫子宿」は、「我孫子市」になるので、本当に、柏市内に、宿場町は無かったようです、、、

土曜日に行って、観光案内所で聞くまで、柏宿があるものと、私も思い込んでいました、、、(*'▽')

土曜日の歩きで、これが、一番のショックでした、、、

街道歩きの中で、「急行電車」「快速電車」の止まる街は、その街道の大き目な宿場町であることが、一般的です。

「川崎」も「神奈川」も、「調布」も「八王子」も、「浦和」も「熊谷」も、「草加」も「越谷」も、街道筋の宿場町。

だから、ここもと思っていたのに、、、こりゃ、やられた~ (*'▽')

いつか、水戸街道も歩いて見る!




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